鬼滅の刃とシャーマンキングの違い
きめつのやいばとしゃーまんきんぐのちがい
『鬼滅の刃』は、古き良き日本的なものと近代化・個人主義の波が同時に来ている大正時代を舞台にしていて、鬼舞辻無惨たち鬼は西洋風の格好をした不老不死=個人主義の極北、炭治郎たちは仲間や家族のために戦うというイデオロギー闘争として読める。
番組より
そこを遡った結果との帰結として、彼らが血で血を洗い作り上げた日本国に生きる以上敬意を払い続けていかなければならない的なメッセージはないわけよ。「おろろー」でええやんっていうところに最終的に行き着くのがいいんだよね。
この項目について
ガチで個人主義を潰して共同体主義が勝つ話であり、脳に電極を挿すようなナレーションで全てを伝えてくる。それに対して『シャーマンキング』は、戦国時代の霊も日本風の衣装も出てくるのに、主人公が「なんとかなるさ」で、どこか気の抜けた感じがある。ホロホロはアイヌだしチョコラブは黒人だし、と混淆的。さらに遡れば『るろうに剣心』も同じで、幕末から明治を遡って考えているのに、血で血を洗って作り上げた日本国に敬意を払い続けなければならない、というメッセージには行かず、「おろろー」でええやん、に着地する。
この項目が出てくる回
関連項目
- 立ち上げ恐怖症福尾が自分の症状として言い出す。
- 行くまでの道中も含めて鈴木忠志の演劇を利賀村まで見に行くことについて。
- 知っている人間がこんなふうに見える大学1年生のとき、TaiTanたちが劇団の1年生公演をやったのを見て、涙が止まらなかったという話。
- 世界は病院である鈴木忠志の演出の特徴は車椅子演劇で、役者がみんな車椅子で移動する。
- 3割打者と2割5分打者福尾が最近落ち着くのは、自分に全然関係ない世界のことを解説しているYouTubeだという。
- 知らないことがいいことでも悪いことでもない状態靖国の話をしたり日本の話をしたりしていて、「大事だと思って喋っているんだけど、本当かな」とふと思ってしまう、と福尾。
- 淡々と人が喋っているのを聞いていたいコテンラジオやゆる言語学ラジオのような教養コンテンツが来ているのは、教養の復権という話ではなく、ある程度長い、変な高低のないコミュニケーションをずっと聞いていられるということでしかない気がする、と福尾。
- 遡って見つけたものを起源として祀らない日本的なものを求めて考え抜いた末に、素朴に右派的な結論に行ってしまう——中島岳志の縄文の本も、國分功一郎の『原子力の哲学』も、その解毒作用の本として読める、と荘子it。