AとCの関係はAとCだけで変わらない
えーとしーのかんけいはえーとしーだけでかわらない
離婚の報告のあとで福尾が言う。
番組より
密な空間だったらAとBの関係が変わることによってAとCの関係も変わっちゃうみたいな。でもAとBの関係がどうなろうと、AとCの関係はAとCだけで一緒みたいな、そのなんか抜けの良さみたいなものがあった方がいいと思うから。
この項目について
こういうことがあったからといって二人の関係が変わるわけでもないし、友達同士の関係はそもそもそんなに関係ない。密な空間だと、AとBの関係が変わることによってAとCの関係も変わってしまう。でもAとBの関係がどうなろうと、AとCの関係はAとCだけで変わらない——そういう抜けの良さがあったほうがいい。家ではなく街に住んでいるで言われる、家の外に街があるということの人間関係版でもある。
この項目が出てくる回
関連項目
- 過保護と放課後村上春樹をめぐる言説を見ても、売り方としてパッケージングされた通りの消費のされ方しかしていない感じがして、それは寂しい——という福尾の話に、「過保護だと」「じゃあ密の次は過保護」と名前が付く。
- 消費のされ方でコンテンツを分けるドパガキ的な分け方は、消費のされ方でコンテンツを分けている——それは結構不思議なことで、実はあまり今までなかったのではないか、と福尾は言う。
- 道徳的に滅菌された状態で消費されているダナ・ハラウェイの受け取られ方について福尾が言うこと。
- 制度的にはそうなりました荘子itがこの回で離婚を報告する。
- アドマチックドパガキの対義語はセロトニンおじさんではなくアドマチであってほしい、と福尾が言い出す。
- 他者の魂を信じるための装置自分以外にも他者がいるということを信じる感覚は、アドマチックで生成される、と荘子itは言う。
- 誰も薬の話をしないケアや精神分析の2020年代的な消費のされ方を見ていて不思議なのは、誰も薬の話をしないことだ、と福尾。
- 家ではなく街に住んでいる家が一回なくなっても外側に街があるのは素晴らしいことだ、という荘子itの実感に、福尾が書きかけのエッセイを重ねる。
となりで喋られていたこと
韻を踏んでいること
- 自分のことも書かなければならないaeeaaaai・自分に触発を与える他者について書く、寄り添うというのは、実は自分を投げ出しているようで投げ出していない。
- オーディエンスに向けた戦いeaaaai・SNSのレスバトルは、本当の論争をしているのではなく、それを見ているオーディエンスに向けている——という話から荘子itが引き出すこと。
- 長谷川あかりeaaaai・ベースとフレーバー二元論の時代に対抗している唯一の人、と福尾が言う料理家。
- 気分のランダムネスを手放さないeaaaai・料理も、ファッションも、音楽も、家具のように自分の生活の周りにあって、今日はこれを聴こう、これを作って食べよう、これを着て出かけよう、と気分に合わせて素直にできること。