くぐった後の感覚の変容が保証されている
くぐったあとのかんかくのへんようがほしょうされている
沖縄のアブチラガマに入った話。
番組より
一度その場に行って、その感覚、来るものがあったかどうかで、その後の人生の感覚が変わるっていう体験だったね。
それをくぐった後の、外に出た後の感覚の変容みたいなものが間違いなく保証されてるっていう意味では。
この項目について
ひめゆり学徒隊が動員された自然の洞窟で、懐中電灯がないと真っ暗な中をガイドが説明してくれる。平和祈念資料館の展示だけでも、「国のために働ける」とウキウキだった日常が地獄に変わっていく過程は追体験できるけれど、その場でその話を聞いたときのリアリティは展示でも映像でも本でも感じられない。霊感やホラーの話ではなく、一度その場に行って何か来るものがあったかどうかでその後の人生の感覚が変わるという体験。荘子itはそれを言葉の忠実な意味で、エンタメやアートがもたらす体験としての純度が高い——くぐった後の感覚の変容が間違いなく保証されていると言う。戦争について考えた方がいい、というべき論ではなく。
この項目が出てくる回
関連項目
- まずは親密な場で沖縄でのイベントの話から。
- 記述には変なレバレッジが効いている有名な場所のことなら、細かく記述しなくても分かるかもしれない。
- 疎なデータから立ち上がるもの自分自身の経験と、日記に残っていくデータとのあいだには情報量のギャップがある。
- 一人の人間が持ってるバイブスなんて所詮それほど幅がない福尾が京都で15年ぶりに高校の同級生と会った話。
- マイナーだから記述せざるを得ない庭師でもあり研究者でもある山内朋樹とのトークから。
- 記述する力という第三の力三宅香帆が言っていたこと——芸人やアーティストはエピソードトークが面白く、批評家は絶対に敵わないから、起きたことではなく解釈の話をすべきだ。
- 実空間を記述するからこそフィクションになる疎な記述をしようとすると、小説でいう視点人物のような架空の人格が勝手に立ち上がる、と福尾。
- Watsonラッパー。