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2026年3月2日

あったことを話す

荘子itの沖縄、福尾の京都。ガマに入った話から、政治の話はまず親密な場でできることが大事だ、でも密な家族はしんどい、という疎密の問題へ。後半は、記述という異様にレバレッジの効いた形式について。

放送日
2026年3月2日
長さ
42:27

話の流れ

  1. 0:091週間ぶりの通常回
    先週は沖縄に行っていた。
  2. 2:30バイブスだけで押し切らずに曲を聴かせる
    押し進めるとそういうスタイルになる。その日のライブはそれ以外も面白かった。
  3. 5:00移動したら全然違う
    似たような沖縄料理の店と土産物屋が並ぶ長い道。その活気は楽しいが、それだけで過ごすのはもったいない。
  4. 7:30アブチラガマ
    ガイドが実際のガマのなかで説明してくれる。懐中電灯を持たないと真っ暗。
  5. 10:00議論だけが見えてくると気持ちが離れる
    左右のイデオロギー闘争も基地問題も、賛成反対の議論だけが見えてくると。
  6. 12:30登壇者が多すぎた
    沖縄の現地のミュージシャンもいて、1時間半のイベントで一人ずつの背景を話していたら。
  7. 15:01その枠の人になってしまう
    そのジレンマを感じているのだろうと思った。自分は東京生まれ東京育ちのミュージシャンで。
  8. 17:32まずは親密な場で
    政治の話はSNSやデモという場ではなく、まず家庭や友人関係のような親密な場でできることが大事だ。
  9. 18:02密な家族はしんどい
    そこで疎密問題に関わる。家族のなかで役割や求められるものがある。
  10. 20:03会えば喋れる
    荘子itが沖縄にいるあいだ、福尾は京都でトークイベントをやっていた。
  11. 21:00高校の時からそんな感じだったよね
    15年ぶりに会った同級生に言ってもらった。それが自分にとっては。
  12. 23:30深入りしない感想の持ち方
    実際、事実としてはそうなのだが。
  13. 26:00誰も知らない庭で起こっていること
    有名な場所なら細かく記述しなくても分かるかもしれないが、誰も知らない庭のことは、めちゃくちゃ面白い。
  14. 28:30記述には変なレバレッジが効いている
    その記述する力は第三の力だと思った。
  15. 31:01一通り見た、のあり方が人によって違う
    インスタレーションを一通り見たということが、鑑賞者によって全然違うはずだ。
  16. 33:33疎なデータから立ち上がるバーチャルな福尾匠
    自分自身の経験と、日記に残っていくデータとのあいだには情報量のギャップがある。読むほうはその疎なデータをもとに。
  17. 36:03うどん屋でそばを食った
    やっぱりそばだなと思った。
  18. 8:58その場に行くと感覚が変わる
    アブチラガマ。展示でも映像でも本でも感じられないもの。
  19. 24:50変わらないよねと言われる
    自分ではぶった切ってしまったつもりだったのに。
  20. 26:20マイナーだから記述せざるを得ない
    誰も知らない庭で起こっていることを伝えるには。
  21. 30:02記述する力という第三の力
    エピソードトークでも解釈でもない。

この回で出てきた言葉

この回からの引用

一度その場に行って、その感覚、来るものがあったかどうかで、その後の人生の感覚が変わるっていう体験だったね。

くぐった後の感覚の変容が保証されている

それをくぐった後の、外に出た後の感覚の変容みたいなものが間違いなく保証されてるっていう意味では。

くぐった後の感覚の変容が保証されている

やっぱ政治の話とかはやっぱこう、SNSとかデモっていう場じゃなくて、まずは家庭とか友人関係でもいいけど、親密な場でまずそういう話ができるっていうのがすごい大事だなみたいな。

まずは親密な場で

いやそこで疎密問題に関わるっていうか。やっぱ密な家族はしんどいよなみたいな話でもあったからさ。

まずは親密な場で

密な家族はやっぱしんどいよ。政治の話云々とかじゃなくて、やっぱり家族の中で役割とかさ、求められるものがさ。

まずは親密な場で

一人の人間が持ってるバイブスなんて所詮それほど幅しかないっていう意味での、変わらないなっていう感想になる気がするな。

一人の人間が持ってるバイブスなんて所詮それほど幅がない

記述をするってことと、ある種のマイナー性みたいなものは切っても切り離せないみたいな話だったんだけど。

マイナーだから記述せざるを得ない

今その批評とか考察とか言われてるものって、なんか記述をあたかもスキップできるかのような感じになってるんだけど。

マイナーだから記述せざるを得ない

文章としても面白くなるみたいな。だからすごい変なレバレッジが効いてる形態だと思うんだよね、記述って。その記述する力めっちゃ第三の力だなって思った。

記述には変なレバレッジが効いている

エピソードトークで勝てない人たちが、それと同じように面白い話をするには、起きたことじゃなくてそれに対する解釈をする方がいいんだみたいな話をしていて。

記述する力という第三の力

そこを第三の力かなって今思った。

記述する力という第三の力

架空の語り手の視点みたいなものがどうしても出てくるっていう、小説でいう視点人物みたいなものの架空の人格みたいなものが勝手に立ち上がるっていうのが、すごい面白いなと思って。

実空間を記述するからこそフィクションになる

実空間を記述するからこそ、それを批評してる文章がフィクションになるっていう、そのなんか反転がすごい、なんかめっちゃおもろいなと思うんだよね。

実空間を記述するからこそフィクションになる

自分自身の経験と日記に残っていく疎なデータのギャップがあるから、読む方はその疎なデータをもとにバーチャルな福尾匠みたいなものを。

疎なデータから立ち上がるもの

情報の取捨選択だよね。記述するその部分の選択だけで、ほとんどパンチライン製造機みたいになってる。

Watson