2026年3月2日
あったことを話す
荘子itの沖縄、福尾の京都。ガマに入った話から、政治の話はまず親密な場でできることが大事だ、でも密な家族はしんどい、という疎密の問題へ。後半は、記述という異様にレバレッジの効いた形式について。
話の流れ
- 0:091週間ぶりの通常回先週は沖縄に行っていた。
- 2:30バイブスだけで押し切らずに曲を聴かせる押し進めるとそういうスタイルになる。その日のライブはそれ以外も面白かった。
- 5:00移動したら全然違う似たような沖縄料理の店と土産物屋が並ぶ長い道。その活気は楽しいが、それだけで過ごすのはもったいない。
- 7:30アブチラガマガイドが実際のガマのなかで説明してくれる。懐中電灯を持たないと真っ暗。
- 10:00議論だけが見えてくると気持ちが離れる左右のイデオロギー闘争も基地問題も、賛成反対の議論だけが見えてくると。
- 12:30登壇者が多すぎた沖縄の現地のミュージシャンもいて、1時間半のイベントで一人ずつの背景を話していたら。
- 15:01その枠の人になってしまうそのジレンマを感じているのだろうと思った。自分は東京生まれ東京育ちのミュージシャンで。
- 17:32まずは親密な場で政治の話はSNSやデモという場ではなく、まず家庭や友人関係のような親密な場でできることが大事だ。
- 18:02密な家族はしんどいそこで疎密問題に関わる。家族のなかで役割や求められるものがある。
- 20:03会えば喋れる荘子itが沖縄にいるあいだ、福尾は京都でトークイベントをやっていた。
- 21:00高校の時からそんな感じだったよね15年ぶりに会った同級生に言ってもらった。それが自分にとっては。
- 23:30深入りしない感想の持ち方実際、事実としてはそうなのだが。
- 26:00誰も知らない庭で起こっていること有名な場所なら細かく記述しなくても分かるかもしれないが、誰も知らない庭のことは、めちゃくちゃ面白い。
- 28:30記述には変なレバレッジが効いているその記述する力は第三の力だと思った。
- 31:01一通り見た、のあり方が人によって違うインスタレーションを一通り見たということが、鑑賞者によって全然違うはずだ。
- 33:33疎なデータから立ち上がるバーチャルな福尾匠自分自身の経験と、日記に残っていくデータとのあいだには情報量のギャップがある。読むほうはその疎なデータをもとに。
- 36:03うどん屋でそばを食ったやっぱりそばだなと思った。
- 8:58その場に行くと感覚が変わるアブチラガマ。展示でも映像でも本でも感じられないもの。
- 24:50変わらないよねと言われる自分ではぶった切ってしまったつもりだったのに。
- 26:20マイナーだから記述せざるを得ない誰も知らない庭で起こっていることを伝えるには。
- 30:02記述する力という第三の力エピソードトークでも解釈でもない。
この回で出てきた言葉
- うどん屋でそばを食ったさっきうどん屋でそばを食べて、やっぱりそばだなと思った。
- 記述する力という第三の力三宅香帆が言っていたこと——芸人やアーティストはエピソードトークが面白く、批評家は絶対に敵わないから、起きたことではなく解釈の話をすべきだ。
- 記述には変なレバレッジが効いている有名な場所のことなら、細かく記述しなくても分かるかもしれない。
- くぐった後の感覚の変容が保証されている沖縄のアブチラガマに入った話。
- 実空間を記述するからこそフィクションになる疎な記述をしようとすると、小説でいう視点人物のような架空の人格が勝手に立ち上がる、と福尾。
- 疎なデータから立ち上がるもの自分自身の経験と、日記に残っていくデータとのあいだには情報量のギャップがある。
- 春ねむり沖縄のトークイベントで同席したミュージシャン。
- 一人の人間が持ってるバイブスなんて所詮それほど幅がない福尾が京都で15年ぶりに高校の同級生と会った話。
- マイナーだから記述せざるを得ない庭師でもあり研究者でもある山内朋樹とのトークから。
- まずは親密な場で沖縄でのイベントの話から。
- 宮古そばのSAIGA那覇の桜坂劇場の近くにある、進化系宮古そばの店。
- Watsonラッパー。
この回からの引用
一度その場に行って、その感覚、来るものがあったかどうかで、その後の人生の感覚が変わるっていう体験だったね。
それをくぐった後の、外に出た後の感覚の変容みたいなものが間違いなく保証されてるっていう意味では。
やっぱ政治の話とかはやっぱこう、SNSとかデモっていう場じゃなくて、まずは家庭とか友人関係でもいいけど、親密な場でまずそういう話ができるっていうのがすごい大事だなみたいな。
→ まずは親密な場で
いやそこで疎密問題に関わるっていうか。やっぱ密な家族はしんどいよなみたいな話でもあったからさ。
→ まずは親密な場で
密な家族はやっぱしんどいよ。政治の話云々とかじゃなくて、やっぱり家族の中で役割とかさ、求められるものがさ。
→ まずは親密な場で
一人の人間が持ってるバイブスなんて所詮それほど幅しかないっていう意味での、変わらないなっていう感想になる気がするな。
記述をするってことと、ある種のマイナー性みたいなものは切っても切り離せないみたいな話だったんだけど。
今その批評とか考察とか言われてるものって、なんか記述をあたかもスキップできるかのような感じになってるんだけど。
文章としても面白くなるみたいな。だからすごい変なレバレッジが効いてる形態だと思うんだよね、記述って。その記述する力めっちゃ第三の力だなって思った。
エピソードトークで勝てない人たちが、それと同じように面白い話をするには、起きたことじゃなくてそれに対する解釈をする方がいいんだみたいな話をしていて。
そこを第三の力かなって今思った。
架空の語り手の視点みたいなものがどうしても出てくるっていう、小説でいう視点人物みたいなものの架空の人格みたいなものが勝手に立ち上がるっていうのが、すごい面白いなと思って。
実空間を記述するからこそ、それを批評してる文章がフィクションになるっていう、そのなんか反転がすごい、なんかめっちゃおもろいなと思うんだよね。
自分自身の経験と日記に残っていく疎なデータのギャップがあるから、読む方はその疎なデータをもとにバーチャルな福尾匠みたいなものを。
情報の取捨選択だよね。記述するその部分の選択だけで、ほとんどパンチライン製造機みたいになってる。
→ Watson