一人の人間が持ってるバイブスなんて所詮それほど幅がない
ひとりのにんげんがもってるばいぶすなんてしょせんそれほどはばがない
福尾が京都で15年ぶりに高校の同級生と会った話。
番組より
一人の人間が持ってるバイブスなんて所詮それほど幅しかないっていう意味での、変わらないなっていう感想になる気がするな。
この項目について
自認としては、地元を出て言葉も内容も全部変わってしまったと思っていたのに、「高校の時からそんな感じだったよね、変わんないよね」と言われて、それが感動的だったという——すごく気が楽になる。荘子itも、大学の頃に久しぶりに会ったときは「だいぶ話すこと変わったな」と言われて寂しかったのに、30歳になってから会うと「変わらないな」と言われる。大学の頃は文化的なものに触れて加速度的に変化していくから、きめ細やかに見ると「変わったな」になるけれど、10年15年空けて見ると、一人の人間が持っているバイブスなんて所詮それほど幅がない——その意味での「変わらないな」になる。
この項目が出てくる回
関連項目
- まずは親密な場で沖縄でのイベントの話から。
- 記述には変なレバレッジが効いている有名な場所のことなら、細かく記述しなくても分かるかもしれない。
- 疎なデータから立ち上がるもの自分自身の経験と、日記に残っていくデータとのあいだには情報量のギャップがある。
- くぐった後の感覚の変容が保証されている沖縄のアブチラガマに入った話。
- マイナーだから記述せざるを得ない庭師でもあり研究者でもある山内朋樹とのトークから。
- 記述する力という第三の力三宅香帆が言っていたこと——芸人やアーティストはエピソードトークが面白く、批評家は絶対に敵わないから、起きたことではなく解釈の話をすべきだ。
- 実空間を記述するからこそフィクションになる疎な記述をしようとすると、小説でいう視点人物のような架空の人格が勝手に立ち上がる、と福尾。
- Watsonラッパー。