記述する力という第三の力
きじゅつするちからというだいさんのちから
三宅香帆が言っていたこと——芸人やアーティストはエピソードトークが面白く、批評家は絶対に敵わないから、起きたことではなく解釈の話をすべきだ。
番組より
エピソードトークで勝てない人たちが、それと同じように面白い話をするには、起きたことじゃなくてそれに対する解釈をする方がいいんだみたいな話をしていて。
そこを第三の力かなって今思った。
この項目について
荘子itはそこに三つ目を置く。人が知らない話やアクセスできない情報に触れているというエピソードトークの面白さと、それに対する解釈の面白さ。そのどちらでもなく、起きたことを書いているのだけれど、情報の取捨選択の偏りや操作加減が面白さをもたらす——それが記述する力という第三の力なのではないか。記述には変なレバレッジが効いているの別の角度からの言い方でもある。
この項目が出てくる回
関連項目
- まずは親密な場で沖縄でのイベントの話から。
- 記述には変なレバレッジが効いている有名な場所のことなら、細かく記述しなくても分かるかもしれない。
- 疎なデータから立ち上がるもの自分自身の経験と、日記に残っていくデータとのあいだには情報量のギャップがある。
- くぐった後の感覚の変容が保証されている沖縄のアブチラガマに入った話。
- 一人の人間が持ってるバイブスなんて所詮それほど幅がない福尾が京都で15年ぶりに高校の同級生と会った話。
- マイナーだから記述せざるを得ない庭師でもあり研究者でもある山内朋樹とのトークから。
- 実空間を記述するからこそフィクションになる疎な記述をしようとすると、小説でいう視点人物のような架空の人格が勝手に立ち上がる、と福尾。
- Watsonラッパー。