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哲学の側に何かがもたらされるなら嬉しい

てつがくのがわになにかがもたらされるならうれしい

蓮實重彥にあるのはある種の負けの美学だ、と福尾。

初出
存在より前に政治がある(2026年6月8日)

番組より

映画と哲学ってそもそも別だよね、そもそも違うんだけど、でも哲学が映画と出会って哲学の側に何か新しいことがもたらされるんだったら、それはそれで嬉しいよねって、ある種めっちゃドライな態度だと思うんだけど。

この項目について

映画論が映画そのものに追いつけるはずがないという前提があり、だからこそシネフィル的な映画愛を持つ。対してドゥルーズは全然シネフィルではない——映画と哲学はそもそも別のものだが、哲学が映画と出会って哲学の側に何か新しいことがもたらされるならそれはそれで嬉しいよね、というめっちゃドライな態度。福尾はその態度が東浩紀にも引き継がれていると見る。蓮實的に言えば、『シネマ』という本よりプレストン・スタージェスの一本のコメディ映画の方が価値がある、ということになる——荘子itは「どっちも分かる」と言う。

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関連項目

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