光を当てなければ生み出されなかった局所性
ひかりをあてなければうみだされなかったきょくしょせい
Dos Monosは「奇怪なサンプリングのミクスチャー音楽」と言えば言えてしまい、AIにプロンプトを入れればそれっぽいものが出てきそうなタイプでもある。
番組より
AIがその言葉で表せる全体を網羅してるはずなのに、光を当てられなかった局所的なポイントみたいな、そこを抽出してる。
光を当てるってやっぱり一つの創造行為がなければ、もう永遠に発見されなかった、なんならもう生み出されなかった光を生み出すことによって本当に見出した、みたいな。
この項目について
それでも、ジャンル名の組み合わせから生み出される音楽には絶対に出てこない局所性がある、と荘子it。AIはその言葉で表せる全体を網羅しているはずなのに、光を当てられなかった局所的なポイントがある。それは最初から含まれていたのではなく、光を当てるという創造行為がなければ永遠に発見されなかったし、生み出されもしなかった——観測によって結果が生じるようなこと。外から見たら簡単なジャンルの言葉で定義されることをやっているのに、内実では明らかに新しいことを見つけている、その感覚がなければアーティストにはなれない。プレストン・スタージェスという固有名がなければ喜劇映画のその一区画は無かった、という話の続きとして出てくる。
この項目が出てくる回
関連項目
- しないこともできる状態にいられるのが能力『置き配的』の原型になった文章で、隠喩と換喩の話をずっとしたあと、いろいろすっ飛ばして出てくる話。
- 存在より前に政治があるドゥルーズを語っていて出てくる一句。
- 批評は社会保障のようなもの東浩紀がインタビューで「批評とは何か」と訊かれて、社会保障みたいなものだと答えていたのが良かった、と荘子itは言う。
- 5年前のことも考古学ができるなぜ歴史学ではなく考古学と言うのか。
- ほっとくとこうなる収録前に、荘子itが2019年の『文芸』冬号に書いた文章が発掘された。
- 最後の平和ボケ2019年と2020年でトーンが変わった、という話。
- 上半身と下半身で別のゲームを同時にやる『群像』での東浩紀との対談を振り返って。
- 情報量としてはゼロなのに何かを言ったことになる存在より前に政治があるの実例として、福尾が高市早苗の国会答弁を挙げる。