現在は多層的な時間
げんざいはたそうてきなじかん
『平和と愚かさ』の書評に福尾が書いたこと。
番組より
現在の中にいろんな時間のものがあるっていうか、古い建物も新しい建物も共存してるし、それこそ本屋さんに行ったら夏目漱石とチェンソーマンが同じ本屋さんの中にあるわけで。
最新とか今っていうことと現在っていうのは全然違う話なんだみたいなことを最後にちらっと書いてる。
この項目について
「最新」や「今」ということと、「現在」ということは全然違う。 現在の中には、いろんな時間のものがある—— 古い建物も新しい建物も共存しているし、 本屋に行けば夏目漱石とチェンソーマンが同じ店の中にある。 現在とは、そういう多元的な時間の中にあるもの。 福尾は、東浩紀の議論はずっと時点の話をしていると読む—— この時点ではこちらが被害者でこちらが加害者、 もう少し遡ると反転しうる、 互いが互いを歴史修正主義者だと言い合っている状態。 その対極に置かれるテーマパーク的な幻想も、 遠い過去や遠い未来という時点の中で生きているということでしかない。 人間はベルクソン的に言えば持続の中で生きているはずで、 多層的な時間がそこであまり考えられていない気がする、と。 初等教育的な世界観と同じことを、歴史の側で言っている。
この項目が出てくる回
関連項目
- 男性声優が今一番かっこいい男声優のポッドキャストがめっぽう良い、というところから福尾が言い出す。
- 恥ずかしさを超えていくタイトルだけでこんな恥ずかしい言葉を考えられるのはすごい才能だ、というところから。
- 話が収斂に向かってしまう複数人で喋ると、絶対に誰かがちょっと違和感を持ったり引っかかったりする。
- 対バンではなく対話対バンの前夜、ドラムのカズが同期トラックを共有するとき 「明日もぶち殺そうぜ」と言った。
- まとまる前提のないところで言う**「対話」は、最初から合意形成や手を取り合うことが目的化した 使われ方ばかりされている。
- 1億分の1であること福尾が生まれて初めて投票に行った回。
- 暴力は被害者が生む濱口竜介の有名な議論として荘子itが持ち出す—— **暴力というのは被害者が生む。
- 初等教育的な世界観ネタバレや考察が取り沙汰されるのは、 みんなが同じタイミングで同じものを見ているという前提があるから。