群像 東浩紀対談雑誌
ぐんぞうあずまひろきたいだん
福尾と東浩紀の対談が載った号。
編集長が「批評史的な事件だ」と言ったという。表紙の写真の二人がフリッパーズ・ギターっぽい、東浩紀は思想界のおざけんと言われていたのだから福尾は必然的に小山田の側になる、という話でひとしきり盛り上がる。東が書いていない裏のテーマとして念頭に置いていたのは子育てだった——仕事と余暇という独身時代の対立ではなく、普通に生きている時間と子育てしている時間くらいの断絶がある、という話が荘子itには腑に落ちた。福尾は対談記事の中で、一人称「僕」の表記を東に合わせてひらがなに統一している。「アー写撮影であんまり普段着ないピチピチのTシャツを着せられて、これいいんかみたいな」。
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関連項目
- しないこともできる状態にいられるのが能力『置き配的』の原型になった文章で、隠喩と換喩の話をずっとしたあと、いろいろすっ飛ばして出てくる話。
- 存在より前に政治があるドゥルーズを語っていて出てくる一句。
- 批評は社会保障のようなもの東浩紀がインタビューで「批評とは何か」と訊かれて、社会保障みたいなものだと答えていたのが良かった、と荘子itは言う。
- 5年前のことも考古学ができるなぜ歴史学ではなく考古学と言うのか。
- ほっとくとこうなる収録前に、荘子itが2019年の『文芸』冬号に書いた文章が発掘された。
- 最後の平和ボケ2019年と2020年でトーンが変わった、という話。
- 上半身と下半身で別のゲームを同時にやる『群像』での東浩紀との対談を振り返って。
- 情報量としてはゼロなのに何かを言ったことになる存在より前に政治があるの実例として、福尾が高市早苗の国会答弁を挙げる。