2026年2月16日
声をかける/声を当てる
ライブの告知が12時間で売り切れた話から、近所でたむろしている人の話、そして話が収斂に向かってしまう問題まで。自分の話をすることと、音楽という現実からジャンプのあることが、ギリギリ繋がってきている気がする、という回。
話の流れ
- 0:00ライブを観てきたアップルヴィネガーのライブ。
- 3:21告知したその日の12時に売り切れた対策は良かったということ。買えなかった人もいる。
- 6:42近所のカフェでたむろしているOddfootworksのペコリなど、番組に出てくれた人が近所にいる。保育園の迎えの後に会う。
- 10:02素朴な感覚で話していた対等にというと変だが、お互い素朴な感覚で話せていた。
- 13:24ぶち殺そうぜというノリがなかったそういう感じではなかった。
- 1:06:54話が収斂に向かってしまう誰かが必ず違和感を持ったり引っかかったりするから、最初から話が収斂の方へ向かってしまうという問題がある。
- 1:10:14自分の本を褒められたら反応する「君の本はもう読まない」と言いつつ、褒められたら反応してくれる。これを機に『置き配的』や『非美学』を読んでほしい。
- 1:13:3419日木曜これが月曜公開で、その週の木曜が19日。
- 1:16:54素朴な話と、現実からジャンプすること普通に自分の話をすることと、音楽という現実からジャンプのあることをやることが、ギリギリ繋げられてきている気がする。
この回で出てきた言葉
- 1億分の1であること福尾が生まれて初めて投票に行った回。
- 演じている自分と野晒しの自分**ラップするときの声と、喋っているときの声は全然違う—— やっていることは声優と同じなのではないか。
- 記号的なところから入って生きて見えてくる福尾はヒューマンスケールの漫画があまり読めない—— 人外どうしが戦っている漫画でないと読めない。
- 現在は多層的な時間『平和と愚かさ』の書評に福尾が書いたこと。
- 言葉は交わされないまま戦う『呪術廻戦』は喋りながら戦う—— 術式を開示すると術が強くなる、という設定で正当化されている。
- 初等教育的な世界観ネタバレや考察が取り沙汰されるのは、 みんなが同じタイミングで同じものを見ているという前提があるから。
- 座りの悪さこそが健康福尾が書いた「自律神経を批評する」という文章の内容。
- それを引き受けて全うしている一人の人間**アニメや漫画のバトルシーンは、 現実の戦争を描くことでは全くない。
- 対バンではなく対話対バンの前夜、ドラムのカズが同期トラックを共有するとき 「明日もぶち殺そうぜ」と言った。
- 対話が続いていることが成功リチャード・ローティの議論として福尾が挙げる—— **対話が成功しているということの基準は、 対話が続いているということでしかない。
- 男性声優が今一番かっこいい男声優のポッドキャストがめっぽう良い、というところから福尾が言い出す。
- 投票所という空間福尾が生まれて初めて行った投票所について。
- 恥ずかしさを超えていくタイトルだけでこんな恥ずかしい言葉を考えられるのはすごい才能だ、というところから。
- 話が収斂に向かってしまう複数人で喋ると、絶対に誰かがちょっと違和感を持ったり引っかかったりする。
- 暴力は被害者が生む濱口竜介の有名な議論として荘子itが持ち出す—— **暴力というのは被害者が生む。
- まとまる前提のないところで言う**「対話」は、最初から合意形成や手を取り合うことが目的化した 使われ方ばかりされている。
- めくってしまえば終わり**漫画のいいところは、恥ずかしいところをパッと読み飛ばせること。
この回からの引用
なんかそのぶち殺そうぜっていうノリ自体がさ、めっちゃその俺らの界隈のノリだった気がする。なんかそれでやってきたけど、なんかハテみたいな、何をぶち殺すんだっけ、冷静に考えると。
最初からこの話し合いはまとまるっていう、その前提ないとこでまず言うっていう、それが対話の本来あるべき形だと思うんだよね。
仲間うちでやっちまおうぜ、ぶっ殺そうぜあいつらって言ってるだけだと、それは本当になんか言ってるだけになる。だから一回相手に向かって言ってみる。
ぶっ殺してやるっていうのも、なんか言った途端に半分冗談になるから。
本当なんか自分が1億分の1っていうかさ、1億分の1しかパワーないんだみたいなことを自覚させられた状態で投票するってことだから、あの感覚はなんかすごい独特なものがあるなと思ったね。
言ってもただの1億分の1の人間、国民であるっていうのもある種リアルだから、なんかそれの感覚ともあっていいよなみたいな。
単純にやっぱ投票所っていう空間はなんかいいなと思ったけどね。そこら辺のおっちゃんとかおばちゃんとかが一緒にブースに並んで字を書いて紙を入れるみたいな、なんかあの感じはいいなと思った。
→ 投票所という空間
普段はほんとただ通りすがりにすれ違うだけの関係だけど、この瞬間はなんか同じ権利主体みたいな。
→ 投票所という空間
暴力っていうのは被害者が生むっていう、それを暴力だと思う人間がいるから暴力が生まれるみたいな、なんかめちゃめちゃ怖い議論をしてるんだよね。
なんか口臭いよとか、なんか鼻毛出てるよみたいなこと言われるのに結構近い感覚っていうか、僕のナチュラルな体から出てくるものが人を嫌な思いをさせてるんだってことを、めっちゃ自覚させられる。
みんなが九九ができるようになって小学校3年生に上がれますみたいな、そういうなんか初等教育的な世界観だと思うんだよね。
タイムラインがみんなぐちゃぐちゃの中でやってるわけだからさ、その統一的な、じゃあ今日から解禁ですみたいなことってできようがないはずなんだよね。
男性声優が今一番かっこいい男なんじゃないかなと思って。
いわゆるキャラっぽい喋り方だけじゃなくて、ほとんどなんか隣のトトロのさ、糸井重里さんとかやってるお父さんとか。あるいはなんか風立ちぬの庵野秀明の、みたいな、あの抜け感みたいなものも、どっちも行き来できる人なんだよね。
自分もラップするときの声とか喋ってるときの声とか全然違うわけよ。やってること声優と同じなんじゃないかみたいな。
バトルの中で肉体は、戦いだから交わるんだけど、言葉は全然交わされないまま、半分それぞれ独り言を言い続けてる状態みたいな感じなんだけど、それこそ疎っていうか密じゃない感じがするのも面白い。
それをやっている自分と、野晒しの自分っていうのがね、ちゃんと同じ体の中にあるっていう。
呪術廻戦はやっぱその共通のルールっていうのは全くないんだよね。それぞれが領域展開っていう技があったりするんだけど、自分の世界にいかに引きずり込むかみたいな感じの戦いがずっとなされてて。
交わらないんだけど戦ってる感じみたいな。冒頭の本当、対バンの話にも通じると思うけど。
そこを生き抜いてる一人の人間の、ラッパーとしての人格のかっこよさが疑いなくあるっていう、それに近い気がするな。
作品で描かれてる現実のなんかヤバさとか深さとか大きさの問題じゃなくて、それを引き受けてちゃんと全うしている一人の人間、そういうものに注目するとなんか見れるな。
なんか人外同士が戦ってる漫画じゃないと読めない、ヒューマンスケールの漫画なんかあんま読みたくないな。
俺の中の最近のテーマはやっぱ恥ずかしさだからさ。恥ずかしさを超えていくっていうことをね、自分に貸してるところすらあるから。
最初にすごい記号的なところから入って、いつの間にか記号的なキャラクターたちが生きたものに見えてくるっていう。
自分でスピード感をいじれないのが、結構これ倍速視聴する若者に限りなく近いのかもしれないんだけど、倍速視聴する若者をバカにできないのって、やっぱりこのアニメとかのこのなんかやってます感。
漫画だったらめくっちゃえば終わりだからね。
やっぱりなんか俺って結構意外と綺麗にまとめがちだから、そういう混ぜっ返しもするやつがいてこそ、ちゃんと成立するんだよなっていうのもあったりする。
対話が成功してるっていうことの基準は、対話が続いてるってことでしかないんだね。合意が起こるとか、喧嘩するからダメとか、そういうことじゃなくて、続いてるっていう時点で成功なんだみたいな。
絶対誰かちょっと違和感を感じるとか引っかかるから、そういう意味で最初からちょっと、話が収斂に向かっていってしまうみたいなね、問題はねあるよね。
わだかまりのない座りのいい日々がその向こうにあるはずだっていう期待を持っちゃってるから、そこにつけ込まれるわけだけど、そんなんないっていうかさ。でもそんなんないっていうのが別にネガティブなことじゃないっていうか。
座りの悪さとか、なんかすっきりしないなみたいなことは、むしろそれは不調っていうより、それが健康であるっていうことぐらいの価値転換というか、見方の転換をした方がいい。
現在の中にいろんな時間のものがあるっていうか、古い建物も新しい建物も共存してるし、それこそ本屋さんに行ったら夏目漱石とチェンソーマンが同じ本屋さんの中にあるわけで。
最新とか今っていうことと現在っていうのは全然違う話なんだみたいなことを最後にちらっと書いてる。