まとまる前提のないところで言う
まとまるぜんていのないところでいう
**「対話」は、最初から合意形成や手を取り合うことが目的化した 使われ方ばかりされている。
番組より
最初からこの話し合いはまとまるっていう、その前提ないとこでまず言うっていう、それが対話の本来あるべき形だと思うんだよね。
ぶっ殺してやるっていうのも、なんか言った途端に半分冗談になるから。
この項目について
** だが荘子itは、対話の前提としてまず、 思っていることをちゃんと言う—— その場を丸く収めるためではなく、素朴に話す。 お互いにそれをやったときに初めて対話になる。 「この話し合いはまとまる」という前提のないところで、まず言うこと。 それが対話の本来あるべき形だと言う。 だから「対話」という言葉は、 クリーン化されすぎているけれど、 牙を折られたようなものではないはず。 福尾は「言った途端に半分冗談になる」とも受ける—— ミームとして承認された空間の中だけで走っていると緊張感がなくなるから、 それが通じない相手にちゃんと喋ってみることで、 本当にその言葉で自分の衝動を表せているのかが確認される。
この項目が出てくる回
関連項目
- 男性声優が今一番かっこいい男声優のポッドキャストがめっぽう良い、というところから福尾が言い出す。
- 恥ずかしさを超えていくタイトルだけでこんな恥ずかしい言葉を考えられるのはすごい才能だ、というところから。
- 話が収斂に向かってしまう複数人で喋ると、絶対に誰かがちょっと違和感を持ったり引っかかったりする。
- 対バンではなく対話対バンの前夜、ドラムのカズが同期トラックを共有するとき 「明日もぶち殺そうぜ」と言った。
- 1億分の1であること福尾が生まれて初めて投票に行った回。
- 暴力は被害者が生む濱口竜介の有名な議論として荘子itが持ち出す—— **暴力というのは被害者が生む。
- 初等教育的な世界観ネタバレや考察が取り沙汰されるのは、 みんなが同じタイミングで同じものを見ているという前提があるから。
- 言葉は交わされないまま戦う『呪術廻戦』は喋りながら戦う—— 術式を開示すると術が強くなる、という設定で正当化されている。
となりで喋られていたこと
韻を踏んでいること
この項目に言及している項目
- 演じている自分と野晒しの自分**ラップするときの声と、喋っているときの声は全然違う—— やっていることは声優と同じなのではないか。
- 記号的なところから入って生きて見えてくる福尾はヒューマンスケールの漫画があまり読めない—— 人外どうしが戦っている漫画でないと読めない。
- 現在は多層的な時間『平和と愚かさ』の書評に福尾が書いたこと。
- 座りの悪さこそが健康福尾が書いた「自律神経を批評する」という文章の内容。
- それを引き受けて全うしている一人の人間**アニメや漫画のバトルシーンは、 現実の戦争を描くことでは全くない。
- 対話が続いていることが成功リチャード・ローティの議論として福尾が挙げる—— **対話が成功しているということの基準は、 対話が続いているということでしかない。
- 投票所という空間福尾が生まれて初めて行った投票所について。
- めくってしまえば終わり**漫画のいいところは、恥ずかしいところをパッと読み飛ばせること。