その時の自分を迎えに行く
そのときのじぶんをむかえにいく
絶対に知っている名前(マルコ・ベロッキオ)が出てこないとき、どうやって思い出すかについて。
番組より
真っさらっていうか、その時の自分を迎えに行くみたいな気持ちで思い出せば思い出せるんじゃない。
記憶ってやっぱさ、他のいろんなものとくっついてる、単なる独立した知識じゃないからさ。それを言ってた時の自分とか、それを見てた時の自分みたいな、それも一緒に思い出すっていうね。
この項目について
その名前で動いていた時の自分から離れてしまっているから出てこない——まっさらから探すのではなく、その時の自分を迎えに行くみたいな気持ちで思い出せば思い出せる。人類補完計画のシーンみたいに、あの時の自分を抱き上げる。記憶は単なる独立した知識ではなく、それを言っていた時の自分、見ていた時の自分と一緒に思い出すもの。荘子itは「それこそバロックだね」と受ける——理路整然とした批評をインストールしても、読んだ時の身の回りのことこそがかけがえのない記憶で、文字は夾雑物をめっちゃ含んでいる。実際、休憩を挟んだらベロッキオの名前はすんなり出てきた。
この項目が出てくる回
関連項目
- 思い出のすれ違いの積み重ね『置き配的』の最後のほうにも書いた、と福尾が言う。
- 暫定的道徳デカルトが『方法序説』で、本当の真理の探求のために引きこもるにあたって必要だと言ったもの。
- 人生劇場の裏に暫定的道徳ありアルバム人生劇場と暫定的道徳の関係について荘子itが言うこと。
- プロビゾワールは即興ではない暫定的道徳の「暫定的」はフランス語でプロビゾワール(provisoire)。
- 理論と実生活を分けないと哲学はできない大学で月給をもらい、結婚して子供もいるのに「n個の性」や「器官なき身体」と言っている哲学者の矛盾について。
- バロックの見せ方で呼び込んでマニエリスムの毒で刺す「実際どう戦っていくのか」に対して後藤護が提案する最良の選択。
- ずっと歪んだ真珠でいるバロックの語源は「歪んだ真珠」。
- クソを愛で続ける人たちの系譜『博覧狂気の怪物誌』刊行イベントのテーマだった肛門期固着について。