料理は可逆的である
りょうりはかぎゃくてきである
長谷川あかりのレシピは調理前の材料を鍋に突っ込んだだけの写真を上げて「あかり信じてるぞ」と言うミームが生まれるくらい、「これいけるの?」という手順で美味しくなる。
番組より
自炊で料理を自分なりにやっていくってことは、料理がいかに可逆的であるかってことを学ぶことでもあると思うんだよね。味見してまずくなってもなんとか復帰できるみたいな。
でもやっぱ料理ってものを、なんか不可逆な魔法だと思わせちゃってる側面もある。
この項目について
福尾はそこに微妙なラインを見る——「信じてるぞ」と言って調理前の写真を上げるということは、料理を不可逆だと思っているということ。火を入れたらもう美味しくなるかまずくなるかの二択、という世界観。でも自炊で料理を自分なりにやっていくことは、料理がいかに可逆的であるかを学ぶことでもある——味見してまずくなってもなんとか復帰できる。すごく構築されていて足し引きが難しいレシピは、アレンジの余地を生まない。荘子itはそこに「反論の余地を作らない」ソリッドさを見る。福尾は対比として土井善晴を置く——レシピを書かず、一汁一菜でよいという考え方の話だけをする人。
この項目が出てくる回
関連項目
- 家具の音楽フランス語で家具は meuble、英語の mobile に対応する「動かせるもの」である。
- 自分が作ったものが自分を別のところに連れていく物を作って出したときに一番面白いのは、自分が作ったものが自分を別のところに連れていってくれるという感覚だ、と福尾は言う。
- ヒップホップは家具の音楽Madlib のレコードを部屋で流すと、めちゃくちゃ溶け込む。
- 切断性が大事負のループに入ってしまうと、その感情の動きの連鎖のなかに身を置いたまま、ずっと鬱状態から出られない。
- 家具とは動かせるものドゥルーズが二項対立を「家具みたいなもの」と喩えていることについて。
- ゴドーが来ると分かっている状態でゴドーを待つ深夜1時の横浜スタジアムの敷地内で、キャンプ用の椅子に座り、電子タバコを片手に、ドリンクホルダーにビールを入れてスマホを見ている朝まで何かを待つおじさんについて。
- 気分のランダムネスを手放さない料理も、ファッションも、音楽も、家具のように自分の生活の周りにあって、今日はこれを聴こう、これを作って食べよう、これを着て出かけよう、と気分に合わせて素直にできること。
- 夜中に走りたくなることをAIに相談したそうしたら「それは完全に」と言われた。