脳の容量の取り合い
のうのようりょうのとりあい
同棲を始めたころ、福尾は「めっちゃいろいろ聞かれるな」と負担に感じていた。
番組より
僕は一人でいても頭がアップアップしてるんだよね。ずっともうこぼれそうな感じで生活してるから、ちょっと聞かれるとか、数時間後の何かが確定されるとか、それについて今決定を下さないといけないっていうことだけで、結構負担に感じちゃってた。
報告してくれないとこっちがめっちゃ考えることが増えるっていう。それはある意味もう取り合いになるっていうか、お互いの脳の容量の。どっちが正しいってわけじゃないな。
この項目について
細かいこと、これからどうするか、今日何が起こるか。「自分の脳の容量の一部をずっと貸している状態」。男性性の問題でもあるし、ADHD的な傾向のせいでもあると本人は言う——「僕は一人でいても頭がアップアップしていて、ずっとこぼれそうな感じで生活しているから、ちょっと聞かれるとか、数時間後の何かが確定されるとか、それについて今決定を下さないといけないというだけで負担に感じてしまう」。荘子itも「マジで全く同じ」と応じ、何時に帰るとちゃんと言えない、連絡が雑だとよく怒られる、と言う。だが——報告してくれないと、こちらの考えることがめっちゃ増える、というのが妻の側の言い分でもある。つまりこれはお互いの脳の容量の取り合いであって、どちらが正しいという話ではない。
この項目が出てくる回
関連項目
- 点はてな「?」の前に読点を1つ打つ用法。
- リテラリティ福尾匠『眼がスクリーンになるとき』の重要概念。
- 解説に見えてしまう本『眼がスクリーンになるとき』を丁寧に読んだ高校生から「『シネマ』に書かれてあることと福尾さんの主張の違いがよく分からない、解説に終始していて福尾さんの思想がどこにあるのか分からなかった」というツイートがあった。
- 動物という通路黒沢清の映画では、人間の世界と「やばいもの」の世界のあいだの通路として動物が機能する。
- 鑑賞料金FXシステム勧める者と勧められた者の関係、そして映画をいつ観るかという時差の問題。
- 葉っぱの影が白いシャツの上を流れたWilliam Faulkner『八月の光』でいちばん印象に残っている描写、と福尾は言う。
- 二人で一個の脳を使っている福尾夫婦は二人とも家にいる時間が長く、二人だけで過ごす時間がめちゃくちゃ長い。
- PTAからの卒業中学2、3年で『ゼア・ウィル・ビー・ブラッド』を観て「これ来た、超かっけえ」となり、以来ずっとPaul Thomas Andersonが好きだという自意識で来た荘子itが、『ワン・バトル・アフター・アナザー』にハマれず「俺、そんなにPTA好
となりで喋られていたこと
韻を踏んでいること
- 八月の光oiai・どうしても入ってこなくて途中でやめていたが、読み直したらとんでもないと思った。
- 鬼滅の刃とシャーマンキングの違いoiai・『鬼滅の刃』は、古き良き日本的なものと近代化・個人主義の波が同時に来ている大正時代を舞台にしていて、鬼舞辻無惨たち鬼は西洋風の格好をした不老不死=個人主義の極北、炭治郎たちは仲間や家族のために戦うというイデオロギー闘争として読める。
- 空間の話をしないoiai・空間的なものの話はするのに、空間の話はしない——それが日本の思想や批評のすごく大きな弱点だ、と福尾はずっと思っている。
- 相談という手を取った置き配oiai・相談の形をとってはいるが、実は「その人にそのことを言っとく」というメタデータの方が本体になっているコミュニケーションのこと。