葉っぱの影が白いシャツの上を流れた
はっぱのかげがしろいしゃつのうえをながれた
William Faulkner『八月の光』でいちばん印象に残っている描写、と福尾は言う。
番組より
クリスマスが歩いたっていうんじゃなくて、葉っぱの影が白いシャツの上を流れたっていうことによって、欲望の始まりも終わりもない欲望のあり方みたいなものが、その描写に凝縮されてる感じがして。
この項目について
主人公のジョー・クリスマスが、自分がこれから何をしそうになっているのかまだ分からないまま——「何かやってしまいそうだ、でもこれから俺が何をするのか分からない」——月明かりの街を一人で歩いている場面。そこでは「クリスマスが歩いた」とは書かれず、「大きな葉っぱの影が、白いシャツの上を滑るように流れていった」と書かれる。Gilles Deleuzeのいう欲望——始点と終点があるのではなく、「私はこうしたいからこうする」でもなく、「なんだか分からないけどそうなっちゃっている」——のあり方が、その一行に凝縮されている。なお『八月の光』も今思えばパラサイトものだ、と福尾は言う。北部から来て黒人を支援していた白人の未亡人の館、その裏の小屋にクリスマスがほとんど勝手に住み着き、最終的に彼女を殺してしまう。
この項目が出てくる回
関連項目
- 点はてな「?」の前に読点を1つ打つ用法。
- リテラリティ福尾匠『眼がスクリーンになるとき』の重要概念。
- 解説に見えてしまう本『眼がスクリーンになるとき』を丁寧に読んだ高校生から「『シネマ』に書かれてあることと福尾さんの主張の違いがよく分からない、解説に終始していて福尾さんの思想がどこにあるのか分からなかった」というツイートがあった。
- 動物という通路黒沢清の映画では、人間の世界と「やばいもの」の世界のあいだの通路として動物が機能する。
- 鑑賞料金FXシステム勧める者と勧められた者の関係、そして映画をいつ観るかという時差の問題。
- 脳の容量の取り合い同棲を始めたころ、福尾は「めっちゃいろいろ聞かれるな」と負担に感じていた。
- 二人で一個の脳を使っている福尾夫婦は二人とも家にいる時間が長く、二人だけで過ごす時間がめちゃくちゃ長い。
- PTAからの卒業中学2、3年で『ゼア・ウィル・ビー・ブラッド』を観て「これ来た、超かっけえ」となり、以来ずっとPaul Thomas Andersonが好きだという自意識で来た荘子itが、『ワン・バトル・アフター・アナザー』にハマれず「俺、そんなにPTA好