著者を喜ばせるための引用ではない
ちょしゃをよろこばせるためのいんようではない
「引用リポストを使っていいのか迷っている」というリスナーの質問への答え。
番組より
発言主を喜ばせるための引用リポストなんてしてもしょうがないんだと。お前が本当にクリティカルなことをするために引用リポストというのはするんだみたいな。そして引用元の人間と仮に見解が割れたとしても、本来の目的がそうであったならばそれは美しい行為なんだという、プライドにおいて引用した方がいい。
この項目について
福尾は、引用されること自体はまったく嫌ではなく、番組や自分の文章の感想を 引用リポストでつぶやいてもらえるのは一番嬉しいくらいだと言う。 ただし、自分の言ったことを誰かを批判するときの便利な道具として—— 自分で考えたうえでならいいが、「この人はこう言っていました」というだけで—— 使われるのは「ちょっとなんかな」と思う。 荘子itはそこからもう一歩踏み込む。大事なのは引用される側がどう思うかではなく、 引用する本人がどういうマインドセットでやるかだ。 著者本人に舐められるかもしれない、と気にしているうちはまだ浅瀬の話で、 「それは違うんだ」と言われてもいいという覚悟において自分の考えを述べることが 本当のことなのだから。 発言主を喜ばせるための引用をしてもしょうがない。 本当にクリティカルなことをするために引用するのであって、 仮に引用元と見解が割れたとしても、目的がそうであったならそれは美しい行為だ—— そのプライドにおいて引用したほうがいい。
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関連項目
- 不合理なものの保存ボクシングは二人でお互いの頭部を殴り合うという、客観的に見れば完全に不合理な競技で、 その危険さ自体が競技の価値にもなってきた。
- 非社会的なものがないと社会はダメになるいま誰もが人間の話と社会の話しかしていないから、煮詰まって出口がなくなるに決まっている。
- 痛がゆいコミュニケーション言っちゃいけないことを言ってしまう、というタイプのコミュニケーション。
- 日記のリアリティライン日記はプライベート、エッセイや評論はパブリック、と大雑把に分けられそうだが、 日記にも公共性と私秘性の両方がある。
- 自分が何に引っかかるか「表現を仕事にするなかで、政治について知らねばならない・語れるように ならなければならないという焦りや義務感を感じるタイミングはありますか」 というリスナーの質問への答え。
- Travis Scottライブで死者が出てバッシングを受けた。
- あしたのジョー荘子itが人生でほぼ最初に読んだ漫画。
- お蔵入り回この回は2回目の撮り直し。