虚構を現実化したい派と現実を虚構化したい派
きょこうをげんじつかしたいはとげんじつをきょこうかしたいは
荘子itによる、めちゃくちゃ雑な分け方。
番組より
虚構を現実化したいタイプだと思うよね。もちろんそれがいろいろ入り混じってくれるんだけど、活動の中で。現実を虚構化するタイプっていうのが、俺の中ではめっちゃざっくり分けると。
後天的に読んだ本の影響とかではなくて、もっと生理的なものとか生得的なものに由来するとこ結構あると思うんだよね。
この項目について
可能世界のようなSF的な世界観が中心にあって、 虚構を現実化したいタイプ(東浩紀、そして自分)と、 「一つの実存と身体の中にいろんな可能性が織り込まれている」 というほうがリアルだ、という、現実を虚構化したいタイプ (千葉雅也、福尾)。 デリディアンとドゥルージアンの対立でもある。 どちらも面白いし、一人の人間の中に両方がグラデーションであるのだが、 それは後天的に読んだ本の影響というより、 もっと生理的なもの・生得的なものに由来するところが結構あると思う、と。 「めちゃくちゃ雑なプロファイリングだと、 自分も東浩紀も東京出身で、対立事項に挙げた人は上京している—— それだけかもしれないけど、さすがにないだろう。」
この項目が出てくる回
関連項目
- ブームはハイプであるポッドキャストブームと呼ばれるものがあるらしい、というところからポッドキャストサミットというイベントが立ち上がっている。
- アートウォッシュされた街福尾が住む黄金町は、その典型だと言う。
- 20年前の東浩紀として振る舞わされる対談後のツイートの「20年後の君に期待している」について。
- 主体的に疎にしていく一緒に行こうと言われてすっぽかされ、一人で美術館に行くほうがいい。
- ちょっとつついたら泣いちゃいそうな自分**寂しさというものに向き合う時間が、今どんどんなくなっている。
- 許可された途端に疎がなくなる**「ここに彫刻を置けるぞ」という発見と、 あとから来た我々がその彫刻を発見すること—— その連鎖のあり方が疎。
- あえて性を脱色する90年代の美学で言えば、それは 「透かし」「外し」 として言われていたもの。
- 週1回スナップされる服番組が3か月前からビデオありになって、 **週1回、私服を見せるという形式になった。
韻を踏んでいること
この項目に言及している項目
- 口が先に動くTaiTanに番組を褒められたとき、 **お礼ではなく「福尾がポストポストアポカリプスと言っていたのを 微妙だと思って『しっぽ』にした」という説明を早口でしてしまい、 「手柄を全部横取りしようとしている」ように見えてしまった。
- 高校生バンドみたいなノリで始まってほしいポッドキャストが流行ってきているので、 **クラスの面白いやつと「実は俺も面白いんだよ」と、 昔で言えば「芸人一緒にやらへん?」というノリで、 「ポッドキャスト一緒にやろうぜ」というのが起きているとしたら、 それはめちゃくちゃバンドで、そう
- 疎の街番組のオンラインコミュニティ。
- 本当の無駄「無駄がいい」という話は、すぐ大落ちしがちだと荘子itは言う—— **年収数千万の広告系の人が言う「無駄が大事だよね」ではなく、 本当の無駄がやりたい。
- 呼んでいないのに来ないやつに怒る対談の打ち上げのあと、東浩紀のタクシーをみんなで見送って解散した直後、 「**群像編集者と福尾匠は二次会に行っているに違いない。