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2025年5月26日

ちゅ、抽象性

岡崎乾二郎の個展『而今而後』から始まり、モダニズムの復権、映画音楽、 同じものを何度も見ること、そして「抽象的なものを作るという具体的な操作」へ。 最後は哲学史全体を「ありもしない抽象的なものをどう設定するかの実験史」として まとめられるのではないか、という話まで抽象度が上がっていく回。

放送日
2025年5月26日
長さ
1:18:32

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話の流れ

  1. 0:13録音ボタンを押し忘れた回
    前週の収録は録音に失敗して消えた。「エビデンスなきファクト」はその失われた回で話された概念。
  2. 1:29岡崎乾二郎『而今而後』
    東京都現代美術館。1階に2022年以前、3階に以降の絵画。一見すると同じ部屋に来たのかと思うほど似ているのに違う。
  3. 4:25モダニズムの復権
    Hilma af Klint展、絵画だらけだったヴェネツィア・ビエンナーレ。マッチョな本流から外れた文脈を拾い直し、美術史を大きな物語として再編し直す流れ。
  4. 9:20抽象的なリビングルーム
    福尾が銀座メゾンエルメスのグループ展「スペクトラム・スペクトラム」のレビューで採った角度。芸術と生活をパッキリ分けず、装飾性やインテリアっぽさをまたぐあり方。
  5. 11:40電信柱の犬のおしっこ
    展示にあった写真作品。電信柱の根元の湿った痕跡と車の塗料の剥げがブラッシュストロークのように見え、特定の色に寄せて補正されている。近づくとおしっこだと分かる。
  6. 13:32アンリ・カルティエ=ブレッソン
    対象のドキュメント性ではなく唯物的なかっこよさに収まっている。ジャズのレコードの演奏音以外のノイズごとループにすると引っかかりになる、というサンプリングの快楽と重ねられる。
  7. 14:36絵とタイトルが結びついていない
    岡崎の絵につけられた詩的なタイトルは絵とリンクしているかも分からない。Dos Monos第1期のトラックと3人のリリックの関係と同じだと荘子itは言う。
  8. 18:00初仕事は広島
    下瀬美術館の「周辺開発状況」展(齋藤恵汰キュレーション)で公開収録。シブハウス、アーギュメンツ、京都の「首塚」といったシェアハウス周辺の来歴。
  9. 27:00Jim O'Rourkeとフェノバーグ
    福尾が中学のとき広島で観たフェノバーグのライブ。ソニック・ユースで好きなのはJim O'Rourke参加作だけだと気づいた話。
  10. 31:40映画音楽で何ができるか
    効果音と音楽の区別がなくなる。ヨハン・ヨハンソン『メッセージ』では文字を読めという内容なのに演出は音がきっかけになっている。ジョニー・グリーンウッド、ミカ・レヴィ、トレント・レズナー&アッティカス・ロス。
  11. 36:40ゴジラの鳴き声に畳み込まれた戦争
    平倉圭のレクチャー。サラウンドの各チャンネルを一本ずつ鳴らして、鳴き声のなかにどれだけの音が畳み込まれているかを聴かせる。戦車を溶かして東京タワーを作るのと同じこと。
  12. 45:00時代とキャラクターの合ってなさ
    魚豊『チ。』の主人公は中世ヨーロッパなのに進研ゼミの付録漫画のような喋り方をする。『マンク』『ソーシャルネットワーク』も同じ作為感を持つ。
  13. 48:40プリティ・ウーマンを2000回
    くまだまさしは特定の映画だけを何百回も観る。コロナうつで1年半観られなくなり、体が動き始めたときにやったのが真夜中の牛久大仏。
  14. 53:00同じことをやり続ける
    利賀村の鈴木忠志、マームとジプシー、晩年のゴダール。一個の作品として取り出せなくなっていくタイプ。マーベルのように全部見ないと分からないのはその反対の極。
  15. 58:00作者の死とアイデンティティ・ポリティクス
    作品の自立性が言われて50年、こんどは全部がアイデンティティ・ポリティクスに回収されていく。その両極のあいだで人生と作品がどう結びつきうるか。
  16. 1:02:00象を作ると像を作る
    展示の最後は象の彫刻だった。子供は「象さん」でテンションが上がる。アンパンマンやミッフィーの抽象性と芸術的な抽象性をダイレクトに繋ごうとしている。
  17. 1:04:00抽象的なものを作るという具体的な操作
    抽象画は抽象画という具体物であり、哲学者は抽象的な概念という具体的な言葉を作っている。プラトン・デカルト・ヒュームは、ありもしない抽象的なものをどう設定するかの説得のロジックがそれぞれ違う。
  18. 1:13:20シットとシッポ ザ・ムービー
    この番組を映画にしてはどうか。カタルシスの岸辺の「死蔵データグランプリ」のように、半分ゴミみたいな断片でできるのではないか。

この回で出てきた言葉

この回からの引用

僕はくまだまさしのエピソードとか聞いて希望を感じたというか、ある種の救いがあるなって思ったんだよね。なんかずっとプリティ・ウーマンだけ見せてもいいんだみたいな。

同じことをやり続ける

抽象的なものを作ってるけど、それは具体物にしか宿らないわけだから、抽象画という具体物を抽象画は作ってるわけだし、哲学者は抽象的な概念という具体的な言葉を作ってるわけで。そのなんかギャップがめっちゃ面白い。

抽象的なものを作るという具体的な操作

抽象的なものを作るという具体的な操作の方に新しさが宿るっていうことは考えていて。それのいろんな実験の歴史として哲学の歴史をそうざらいすることはできそうだなみたいな。

抽象的なものを作るという具体的な操作