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エビデンスなきファクト

えびでんすなきふぁくと

**エビデンスがしっかりある情報など、もともとほぼない。

初出
交換様式F(2025年5月19日)

番組より

つまりエビデンスがしっかりある情報とかって、もともとはないんだよね、ほぼほぼ。

それってやっぱエビデンスがないけどファクトとして流通してるわけで。

この項目について

** 日記に書かれた出来事にエビデンスはないが、 社会の中ではそれがある種ファクトとして扱われる。 エビデンスがないからどうこうと言ってもしょうがないし、 「その人がそのとき思ったことは本当なんだ」という 当事者性の話にしてもしょうがない。 純粋に客観的なエビデンスでもなく、主観的な当事者性でもない、 微妙なファクトとしてあるものが、社会の大部分を成している。 荘子itはテセウスの船を、福尾は 「夏目漱石の『坊っちゃん』そのものはどこにもない—— 文庫にも全集にも英訳にもあるのに、 それらが全部同じ『坊っちゃん』だという了解を我々はしている」を挙げる。 それを理論化しようとして失敗したのがフーコーの『知の考古学』 で、 その問題設定自体がめちゃくちゃ面白い、と。

2025年5月26日の回

福尾の概念。この回で何度か参照されるが、それが話されたのは録音ボタンを押し忘れて音源が失われた回であり、番組には残っていない。抽象と具体をつなぐ回路のオリジナリティ自体がエビデンス代わりになる、という文脈で持ち出される。

この項目が出てくる回

関連項目

となりで喋られていたこと

この項目に言及している項目