2025年5月19日
交換様式F
1時間15分喋ったあと録音ボタンを押していなかったことに気づき、もう一度撮り直した回。受け取るとは何かという話から、エビデンスなきファクト、そして「DでもEでもなくF」まで。
話の流れ
- 0:00録音ボタンを押していなかった過去最長の1時間15分、話が盛り上がっていたのに録れていなかった。もう一度やることになった。
- 3:12映画の起源にあったものリュミエールのものにはドキュメンタリーという名前すらなく、現実を映しているものだった。
- 6:22触発されて新しいことをするのが受け取ること別のことを触発されて何かをして、他の人がまたそれに食らう。それこそが本当に受け取ったということではないか。
- 9:32DですらなくEも飛ばしてFエビデンスがないファクトによって回っているのだ、という話が自分のなかで繋がって、交換様式Fという言い方になった。
- 12:43立場表明が全面化しすぎているSNS以降、社会的・政治的な立場表明が前に出すぎている。とはいえ引きこもってそれぞれ何かを作るというのも。
- 59:33インテリア空間建築を飾り立てるものとして絵が機能する。部屋のなかに絵があることと、その部屋で人が生活していることが一続きになっている空間。モダニズムの逆。
- 1:02:44番組のサムネのオブジェ二人だけなら買う選択肢はなかったが、近所の人が。
- 1:05:55日記の哲学個人でやっているオンライン講座フィロシャピーで、日記の哲学という講座をやっている。
この回で出てきた言葉
- うずまきと貨幣伊藤潤二『うずまき』の単行本巻末に、佐藤優が書いた解説。
- エビデンスなきファクト**エビデンスがしっかりある情報など、もともとほぼない。
- お金がなくなっても別の権力の形が残る成田悠輔が『令和の虎』に出て 「**希望金額はマイナス1億円です。
- 顔が見える福尾が Dos Monos について前々から思っていたこと。
- 柄谷行人交換様式A〜Dの議論が参照される。
- 交換様式F柄谷行人の交換様式Dから始まる話。
- そうしておくと楽だからポスターを貼る荘子itがカート・コバーンの言葉でいちばん共感したもの。
- 装飾と犯罪アドルフ・ロースの文章を福尾が初めて読んで、 想像の10倍くらい偏狭な人だったと驚く—— **人間の歴史は装飾を切り捨てていく歴史なのだ、 その原初的な形態が入れ墨で、そこから進歩して モダニズム建築という「ただの直角」にたどり着いたのだ、
- 立場を分けるのはナンセンス「実存的か、社会的か」という分け方をめぐって。
- 作り続けている姿のほうを受け取るうずまきと貨幣の分析は面白かったが、 それは出来上がった作品に対する分析でしかないと荘子itは言う。
- ファクトとフィクションとフェティッシュ三つとも、ラテン語の「作る」という動詞から派生している。
- 部屋を飾ることのラディカルさそうしておくと楽だからポスターを貼るのマインドでずっとやってきた、 と言ったあとに荘子itが付け加えること。
- 未来にアウトソーシングする交換様式Dも、シンギュラリティ論も、終末論も、救世主待望論も、 未来にアウトソーシングしているという意味では同じだ、と福尾は言う。
- レイバーとワークの切り離せなさアーレントのレイバー(労働)/ワーク(制作)/アクション(活動)の三区分から。
- 録音ボタンを押していなかった**過去最長の1時間15分、しかもすごく話が回って盛り上がって喋ったあと、 録音ボタンを押していなかったことに気づいた。
この回で触れられた項目
この回からの引用
なんと録音ボタンを押していなかったために、もう一回やることになったという衝撃の展開。
でも実はこれ日記的っていうか、日記も起きたことを誰も確かめようがないわけじゃない、読者は。でもそれを人に聞かせる、読ませるために書き起こしている。
つまりエビデンスがしっかりある情報とかって、もともとはないんだよね、ほぼほぼ。
それに食らったんだったら全然自分が別のことを触発されて、新しいことをして、他の人がまたそれに食らうみたいなことこそが、本当に受け取ったことになるんじゃないか。
→ 交換様式F
人間の社会っていうのはエビデンスがないファクトによって回ってるんだみたいな話が僕の中では繋がってて、だからもうDですらなくEも飛ばしてFなんだ。
→ 交換様式F
ファクトとフィクションとフェティッシュが全部同じラテン語の作るっていう動詞から派生してて。
そことは全く離れた表現のための制作があるみたいな、パキッとした二元論が設定されていること自体がちょっと間違いなんじゃないか。
アクションに対する逆張りとしてワークを押すんじゃなくて、レイバーとの切り離せなさの中にあるワークのあり方みたいなものを考えた方が面白いんじゃないかと僕は思ってる。
だからそこで立場を分けるのってナンセンスだと思うっていうね。
やっぱ自分は自分の仕事やんなきゃしょうがないよなみたいなことに立ち返ってくるわけで、その意味では全然ネガティブなことじゃないっていう感じはするけどね。
それってやっぱエビデンスがないけどファクトとして流通してるわけで。
未来にアウトソーシングしてるって意味では同じだから。
締め切りが文化を作るみたいな話と一緒で、でもそれって確かに締め切りがないと我々は頑張れなかったりするんだけど。
令和の虎っていう、起業したい人たちがお金ないからってプレゼンをして、お金持ちの社長さんたちに出資してもらうっていう、趣味悪いけど面白いコンテンツ。
そもそもお金的な尺度とか人間が作ったものって、お金がなくなったとしても残るだろうみたいな、Fみたいなもので完全に作られちゃってるから今の世界が。
全部現実の世界の何かではないんだけど、とにかく人がそれに引きつけられてやまないっていうもの。
→ うずまきと貨幣
とにかく何かに吸い寄せられるときはトランス状態で吸い寄せられてしまうみたいな、その怖さ、本当の本質的な怖さみたいなのを書いてるから、それが面白いんだっていう話をした。
→ うずまきと貨幣
でもそれは出来上がった作品に対する分析なんだよ。何が一番、昨日の話やっぱ面白かった、受け取って自分が良かったものは、やっぱり伊藤さんがとはいえ、そういう一個集大成的な作品を作って終わるじゃなくて、ずっととにかく書き続けてる。
ものを何か作るってことは何にも増してやりがいがありますねって、やっぱりその日の最後にね言ってて。
どっちのものもある、荘子itの生き様2.0でよみたいなものになったらすごいいいなと思って。
→ 生き様2.0
全然別のいろんな多様な生き様の、正解というか成功というか、それでもかっこいいっていうことを提示したいな。
→ 生き様2.0
顔が見えるっていうのがすごくいいなと思って。メタフォリカルな意味での顔が見えるじゃなくて、すごく文字通りの意味で。
→ 顔が見える
顔があまりにもありのままだから、俺らってそこを引き受けた上で、それでも本当にめちゃめちゃやばいって思わせられるんだぜみたいなことができたら、それこそがかっこいい。
→ 顔が見える
装飾と犯罪っていう文章を読んで、アドルフ・ロースってモダニズムの権化みたいな人なんだけど、想像の10倍ぐらい偏狭な人っていうか。
→ 装飾と犯罪
一人の人間が自分の自由と責任のもとに部屋を飾るってことは、一つの社会に対する、それ自体が犯行みたいなことだと思えるわけだよね。
→ 装飾と犯罪
若い頃に部屋にロックスターのポスターとかを飾ってたけど、それはそれしとくと楽だからっていうことでしかなくて。
人の目を欺いて、本当はその外に俺は行こうとしてるんだみたいな気持ちを歌った。
実はでも部屋を装飾するみたいなことにも、それは全然別のラディカルな面白い可能性があるんだみたいなことは、それこそ妻に教えてもらった。
結局動かしてくれたのは、変な雑貨へのこだわりとか可愛いものが好きみたいなことだったりするから、やっぱねちょっとそこは捨て置けないね。