メタのメタなのに着地はベタ
めたのめたなのにちゃくちはべた
ロジックを辿っていくとメタのメタなのだが、着地しているところは完全にベタ側。
番組より
ロジックを辿っていくとメタのメタなんだけど、着地してるとこは完全にベタ側っていう。
ベタにマットに生きて、その後にようやくメタ的な意識って駆動するんだ、みたいなモデルを考えてるのが多いなみたいな。
この項目について
荘子itが「事後的」ということを強調したのは訂正可能性につながる話で、ベタにマットに生きて、その後にようやくメタ的な意識が駆動する、というモデルを考えている人が多い。だからむしろそれは普通にベタで、一人の人間としてはベタで愚かなことだ。階層の違いに逃がしてきたものを、いかにベタの平面に押しつぶすか——日記も書くし、日記もエッセイも批評も結局全部文章だから一緒、というところへ続く。
この項目が出てくる回
関連項目
- サンプリングでジャケを作るジャケットの猿が着ている黒いパーカーは、もともと存在しないものだった。
- 自分で提案するベーシックインカム離婚して逆に生活が整っている、という話から。
- 存在からたまに通知が来る支払いの催促の話から。
- 35度超えの正解はまだ提案されていない半袖Tシャツと半ズボンをちゃんとおしゃれに着るのはめっちゃ難しい。
- コカ性伊良コーラを飲む荘子itと、コカ・コーラを飲む福尾。
- 二次的ではあるけどメタではない福尾には「メタ」という意識があまりない。
- 人工的なリアルとリアルな人工性映画は自然主義的なものがかっこいいとされがちで、古くはアンドレ・バザンのモンタージュ批判から、今ならホン・サンスまで。
- キモさを通過していないやつが面白くなれるのかリチャード・リンクレイターがゴダールの若き日を描いた『ヌーヴェルヴァーグ』の話から。