2026年7月13日
濱口竜介/村上春樹
濱口竜介の新作を観て、地元から出てきた最高の先輩を見るような気持ちと、自分はこれに乗れているのかという寂しさの両方が出てくる。そこから黒沢清の時代劇の様式、村上春樹のランニングのエッセイ、そして機械化されたスシローで妻とタッチパネルを押している時間の話へ。
話の流れ
- 0:21とんかつで時間を切られるDos Monosの定例会議のあと昼を食べに出て、ラーメン屋が混んでいて、まい泉の本店まで行くことになった。
- 10:00映画界の大谷翔平スポーツほど勝敗がはっきりする世界ではないが、ヨーロッパ的な伝統のなかの日本の映画として、大谷翔平並みと言ってもいいところまで来た。
- 10:38地元の最高の先輩一鑑賞者として観ると「俺はこの映画に乗れない人なのか」という寂しさもある。だが「ノットフォーミーかも」という腐り方はせず、地元の最高の先輩がやっているんだから行こうぜ、という感じ。
- 21:16黒沢清も見ておこう濱口・黒沢と並べて語られる流れで、黒沢清の時代劇へ。織田信長に反発する話。
- 27:40厳格な様式いつでも白黒でフィルムに繋げられる、完全に現代の映画になってしまっていない作り。織田信長の時代は生活様式も厳格で、人に恥をかかせないための作法があった。
- 28:20打ち首ではなく切腹させてくれ恥をかくくらいなら死ぬ、という文化。そのリアリティは今からは全く想像できないが、映画の厳格な様式を通してメタ的に理解できる。
- 47:00村上春樹とランニング福尾はほとんど毎日走っている。村上春樹もずっとマラソンをやっていて、それについて書いたエッセイがある。読み返してみたら、タフネスの話しかしていない。
- 47:54苦痛は避けられないが、きついと思うかどうかはお前次第Pain is inevitable but suffering is optional。長距離走者にとっての格言。
- 1:01:00妻とスシローに行くのが一番楽しい完全に機械化されていて、向かい合った二人が同じモニターを見ながら指で押して注文する。店員と全く交わらずに、二人で画面をポチポチしている時間が楽しい。
- 1:01:42モバイルオーダー問題タッチパネル化を嘆く話をよく聞くが、福尾は機械化自体は全然嫌ではない。
- 1:13:10疎の街の質問会7月分の「すべての質問に答える」の質問を募集。
- 6:41これが奇跡ですよと指ささない観客が一緒に思えるように罠をいっぱい仕掛ける。
- 14:34現象学が嫌い身体性を道徳的な良さとダイレクトに繋ぎすぎている。
- 29:17そっちにも心はあった未開人で心がなかった、という話ではなく。
- 40:37一度英語を通過した語彙モーターサイクル、テニスシューズ。その違和感が良さでもあった。
- 56:22人間原理の復活を求む人間がやっているんだから人間が裁こうよ。
この回で出てきた言葉
- 一度英語を通過した語彙村上春樹の面白さの源として福尾が挙げるもの。
- 1万円のとんかつ収録前、Dos Monosのみんなで昼飯に出たら角のラーメン屋が混んでいて、「まい泉があるよ」となって本店まで歩いたが遠く、途中でTaiTanが「僕もう時間がないんで帰ります」と離脱した。
- 過保護になることでタフネスが抜け落ちる福尾が書いた『カホ』の書評について。
- きついと思うかどうかはお前次第村上春樹『走ることについて語るときに僕の語ること』に出てくる格言——Pain is inevitable but suffering is optional。
- 現象学が嫌いケア的な文脈のコンテンツに心理的な負荷を感じる、という話を荘子itが「人によるよね」で回収しようとしたら、福尾から「現象学が嫌いなんだよな」という「マジでこいつしか言わないタイプの理由」が返ってきた場面。
- これが奇跡ですよと指ささない『急に具合が悪くなる』はギヨーム・ブラックが撮影監督で、スタンダードとワイドの中間くらいの画面サイズで、さり気ないのにビシッと来る。
- 地元の最高の先輩濱口竜介について荘子itが言うこと。
- そっちにも心はあった黒沢清の時代劇について。
- 店員と全く交わらずに楽しいモバイルオーダー問題、タッチパネル問題として嘆かれることについて、福尾は機械化自体は全然嫌ではないと言う。
- とんかつで時間を切られるDos Monosの定例会議のあと昼を食べに出たら、ラーメン屋が混んでいて、まい泉の本店まで行くことになった。
- 人間原理の復活を求むワールドカップのVAR判定について。
- 走ることについて語るときに僕の語ること村上春樹がマラソンについて書いたエッセイ。
- 恥をかかせないための作法黒沢清の時代劇の、いつでも白黒フィルムに繋げられるような厳格な様式について。
- 無料のストローを両手で近所にできたスシローで、ドリンクもレーンで流れてくるのだけれどストローは付いてこない。
この回で触れられた項目
この回からの引用
これが奇跡ですよって指ささないで、観客が一緒にこれ素晴らしい瞬間かもって思えるのを、本当その罠をいっぱい仕掛けるくらいな感じで。
俺この映画に乗れない人なのかみたいな、ノットフォーミーかもみたいな、そういう腐り方もせず、地元の最高の先輩がやってるんだから行こうぜくらいの感じはあるね。
→ 地元の最高の先輩
現象学だから身体性みたいなものを道徳的な良さとダイレクトにつなぎすぎてる感じがすごい苦手なんだよね。身体性を回復するみたいな、身体性を回復するってことがすなわちいいことであるっていう前提が。
→ 現象学が嫌い
打ち首じゃなくてちゃんと切腹させてくれみたいな。その世界のリアリティで今全く想像できないけど、こういう厳格な様式、これは映画の様式の話だけど、でもつまり生活様式も厳格だったわけよ。
でもそっちにも心はあったっていうか、そっちは未開人で、なんか近代化が足りてないから心がなかったって話じゃなくて、やっぱり俺らが思う心的なもの、魂的なものかわかんないけど、あったよなっていう風に思える。
一回英語を通過していることによる謎の語彙みたいなものがいっぱいあるわけ。
彼の作品に本来あったはずの倫理性っていうか、それこそタフネスみたいなもの、それこそ過保護になることによって抜け落ちちゃうっていうことがパラレルに起こっちゃってる感じがして。
Pain is inevitable but suffering is optional っていう格言みたいなものが出てくるんだけど、つまり苦痛は避けられないけど、きついって思うかどうかはお前次第だみたいなこと。
全部ファウル取るわけにいかないから、本当にだから完全なる突き詰めた政治だけが残るみたいな。
だから人間原理の復活を求むって感じだよ。人間がやってるんだから人間が裁こうよって、それを人間が見て判断しようよっていう。
妻とスシロー行って、完全に店員と全く交わらずに、ただ二人で画面ポチポチをして、次これ食べようみたいな感じでやってることが楽しいみたいな。
しかも「お待たせしました、ストローでございます」って言って両手でちゃんと持って、無料のストローを渡してくれたんだよ。それが一番嬉しい。