2026年8月17日
ぼくらの同時代ゲーム【ゲスト:没 aka NGS】
Dos Monos の没を迎えた2回目のゲスト回。 自分のことを言語化しようとしていない、という没の話から、 映画音楽を一切サンプリングせずに映画っぽくすること、 そして誕生日にもらったサンプラーの話へ。
話の流れ
- 0:09没がやってきた2回目の登場。年始のシアターD vol.5のときにも。
- 3:20オーガニックな、天然のものばかり没の歌詞について。
- 6:40SLACKもそういう感じめちゃくちゃ東京なのに。影響を受けている。
- 10:02そっちに進化できるんだ没とシェアしたのは Madlib やジェイ・ディラのあたりから始まって、海外の変なところ、シミラボまで。
- 13:22本人の許可をもらって収録した7曲目。TaiTanがフィーチャリングした曲。本当のことしか歌いません、という人。
- 16:20言語化しようとしていない自分の人生をそんなに。誰かと話しているとその場で初めて言語化しようとするが、創作に向き合っているときは全く自分のことを考えていない。
- 16:44インストとテキストでいいのではソロをやるとき、極言すればコンテンポラリーアートで、言葉と音の関係はそれでいいのではと考えたあげく。
- 20:04それをやったら殺してくれ没が最近言うやつ。ラップにはそういう罠が無限にあるし、先人もいっぱいいる。
- 23:25ここに没、ここにTaiTanが来たら熱いそれで頼めばやってくれる。
- 26:35映画音楽は一切サンプリングしていない映画っぽいと言われるが、現実に転がっている音楽の断片をつなぎ合わせて映画っぽくしている。
- 27:30曲が街の雑踏と変わらないものになりうるMadlibもラジオやテレビの音ではなく、オーセンティックな1970年代のレコードをつなぎ合わせて、猥雑な雰囲気を作り上げている。
- 30:05誕生日にもらったサンプラー8月14日。夏の日差しがあって、そこに誕生日でもらったSPがあって。
- 33:25二回目の質問をしなければいけないそういう人が多い。
- 40:00同時代をどう共有したか何を通ってきたのかという話。
- 46:40自分の名前を出さないやり方どこまで出すか、出さないか。
- 53:20一曲一曲はまともな曲それがあたかもノイズやBGMと変わらないものになる。
- 1:00:00罠は無限にある先人もいっぱいいるから。
- 1:06:40締めまた来週。
この回で出てきた言葉
- 一行一行で揺れる自己開示という言い方はあまり好きではない、と荘子itは言う。
- We Dance Alone「帝国主義の病」から始まる、アルバムで一番暗い曲。
- 映画音楽は一切サンプリングしていない映画音楽っぽい、映画っぽいと言ってくる人が多い。
- SP-404没が誕生日にもらったサンプラー。
- 機械を通じて人間性を感じさせる没のリリックに出てくるセオ・パリッシュとトラックスマン。
- 記録に残らないものを記録する没のリリックに「早すぎて記録に残らない映像」という一行がある。
- 劇場をやると人生の滑りも良くなる『人生劇場』というタイトルはポッドキャスト的なものに影響を受けている、 と荘子itは言う。
- 言語化しようとしていない頭が悪いのか何なのか分からないけれど、 自分の人生をそんなに言語化しようとしていない、と没は言う。
- 言葉は全ての可能性に開かれている没のリリック「一人だけじゃかからない麻疹」について、 荘子itが 「橋か」=橋が架かる、と読めるのではないかと言う。
- コンビニがその辺に生えているバナナ都会でオーガニックなものを食べようとすると、金を払ってわざわざ、という話になる。
- 状況がまず嘘みたいなところから本当のことが立ち上がる日本人としてラップをやっているのは相当変な状況で、 それで本当のことを言えるわけがない——という没の言葉を受けて、荘子itが返す。
- タムロ「今日みたいに紫のフィルターかかってて、おしゃれして出かけた日には、 都会を抜けていく風はしかとして、こんな風に頭揺らす」—— 荘子itがカメラワークが見えると言う一節。
- 誕生日にもらったSP没の誕生日は8月14日で、荘子itと10日違い。
- Traxmanシカゴのフットワークの巨匠。
- 二回目の質問をしなければいけない「トラックスマンだよね」と言えば自分たちには通じるが、 そう言われても二回目の質問をしなければいけない人のほうが多い、 と荘子itは言う。
- 21世紀とフェイスオフ没のリリックの一行。
- Fire and Rainリリックの「Fire and rain like James Taylor」の元。
- 文章が二重で見える文章っぽいと言われることを、荘子itは狙いであり強みだと考えている。
- 無駄で繋がっている喧嘩もいっぱいしたが、もう今更言うこともない——という流れで。
- 森の幼稚園没は愛知県の山の中のような幼稚園に、年中・年長だけ通っていた。
この回で触れられた項目
この回からの引用
森の幼稚園っていう、俺愛知県で育ったんですけど、本当に山の中みたいな幼稚園で年中年長だけ行ってたんだけど、森の幼稚園っていう名前なんです。
→ 森の幼稚園
本当に自然から疎外された状態で生まれてきたっていう自意識だったけど、そんな中でもこんな風に生き生きと自然体で、気負わずにクールに生きるんだっていうのがめちゃめちゃ良かったな、スラック。
→ タムロ
言語化しようとしてないんですよ、自分の人生をそんなに。
その場でなんか誰かと話してたらその時初めて言語化しようとしたりするけど、特に自分の創作とかに向き合ってる時に全く自分のこと考えてない。
考えた結果の素晴らしい答えを提出するんじゃなくて、一行一行で結構揺れる。
→ 一行一行で揺れる
それがなんか結構ずっと何曲かあるよね。それって結構禁じ手じゃん、ラップにおいて。じゃなくてとか言うなよみたいな。一人で論述始めてんだよね。
→ 一行一行で揺れる
作り込まれてるからこそ観客の方が心を持っていけばそこに広大な器があるみたいな状態っていうか。
一人の人間のエモーショナルな口語じゃなくて、文章が二重で見えるっていうか。リリックノートで書かれてる文字っていうものが録音された声にもちょっと残ってるっていうか。
でも映画音楽そのものは一切サンプリングしてなくて、だからなんか現実に転がってる音楽の断片をつなぎ合わせてなんか映画っぽくしてるっていうか。
もともと一曲一曲は普通にまともに曲なんだけど、なんかあたかもそれがノイズBGMとか街の雑踏とかと変わらないものになりうるっていう。
トラックスマンだよねとか言われても、2回目の質問しなきゃいけない人が多いわけだよね。
これ誕生日にSP4 for SXを買ってもらったんだよ。8月14日って俺の誕生日。
肉体が神ってことなのかもしんないけど、その人の結局なんか神性を俺は感じるのは、その人のなんか肉体が出てきてるから。
セオ・パリッシュもトラックスマンもDJとマシンビートのプロデューサーってことで、機械を通じてでもそいつの人間性を改めて感じさせるっていう。
火の日もあるし雨の日もあるしみたいな、そういうのを超えて会えたらいいねみたいな。
21世紀って荘子itのことなんだと思うんだよね。20世紀を踏まえた上での21世紀が荘子itなのかもしれない。
そうである限り常に現在は、その時点からすると最悪の最後の状態とか思えたとしても、まだ最後ではないっていう。
マジで無駄の積み重ねで、それで離れられなくなってる。無駄で繋がってるんだよな。マジで無駄で喧嘩してるし、無駄で繋がってるみたいな。
没はだから映像の上位概念として、上位じゃないけど、音楽っていうのは映像に残らないもの、そういう速さのものだ。
映像はその目の前に映ってるもの、起きてるもの。そういうことじゃないよ、映らないものを記録するね。
それは没が違うって言ってるだけで、言葉は言葉でしかないから全ての可能性に開かれてるんだよね。
俺もやっぱ日本人としてラップやってるって相当変な状況だから、なんかそれで本当のこと言えるわけないじゃんみたいな。
本当のことを言うっていうのはただ内容本当のこととかじゃなくて、言い方フォームとか全てを含めて本当のことって形成されるわけで、そういう意味でも状況がまず嘘みたいなところから本当のことって立ち上がる。
人生劇場っていうタイトルはポッドキャスト的なものに影響を受けたね。人生を犠牲に劇場やるんじゃなくて、劇、ポッドキャストやることによって映ってない人生の方も滑りが良くなる。
そっちをやるためにこっちを犠牲にするじゃなくて、結局なんかその両方をうまく回す方法があるんだみたいな。