2026年3月30日
レディオヘッドと頭空っぽ
「頭空っぽ性」の話の続き。電波系という言葉から、自分は密な人間だと思い込んでいたという発見、アンビエントと家具の音楽の違い、そして空気を読むことまで。
話の流れ
- 0:00先々週の頭空っぽ性その話をしたのは先週か先々週か。頭が空っぽすぎて思い出せない。
- 3:22ネットミームとしての電波系涼宮ハルヒのノリのような、めちゃくちゃなことを言う人という意味での電波系。
- 6:42自分は密な人間だと思い込んでいた自分にもそういうところがあると最近発見している。疎密で言えば、自分を密の側に置いていた。
- 10:04リベラルからは格好の的になるだがその概念で解こうとしていること自体の良さがある。
- 13:26スタジオライブの映像を二重写しにする『In Rainbows』の頃からレディオヘッドもやっていた。それと重ねて見ると、あの時の感動はもうない。
- 16:46アンビエントと家具の音楽アンビエントはエアリーだが、家具の音楽はソリッドで固体だから、違うのかもしれない。
- 1:18:29言葉の力で病気を上書きする操作その結果病気になったり、逆に言葉で直したりする操作が、あまり向かない——というより必要ない。
- 1:21:51ハイコンテクストすぎて逆に頭空っぽ何なのか分からなくなる。それを言うのが好きなのかもしれない。
- 1:25:13波を受信するのではなく空気を読む電波系という言葉を、同じ意味で使っているわけではない。
- 1:28:33本場に行かなくてもこの島の中でここでやれているなら、ヨーロッパに行かなくても哲学をやっているのはむしろ同じことだ、という感じ。
- 1:31:54ソロを聴かせてもらった先週聴いた。すごく良かった。
- 18:54レシピの余白を楽しんでください長谷川あかりのレシピの末尾。エアリプなのか、という話で盛り上がる。
- 19:57エアを察知する人間が一人でもいれば本人にそのつもりがなくても、それはエアリプ。
- 21:01そこになかったらないですねEverything In Its Right Place の反対語。だが二項対立ではなく前後関係。
- 26:36密だからこそ余地が生まれる情報がめっちゃあるから、逆に受け取る側が勝手に遊べる。
- 28:20アルフレド・ジャーを見に行ったオペラシティで。作品点数は少ないが、はっきりと収穫がある感じ。
- 29:31広島広島原爆ドームの真上からの映像が車輪になり、扇風機になり、最後に風が吹きつけられる。
- 31:47作品の外側に口実が逃げている暴力性をわざと再演しているんだ、と言われたら突っ込めない。
- 34:20This is Americaアメリカとは西半球全体のことだ、という70年代のカウンター。
- 40:33記号が現象に還元され直す記号の言葉遊びの先で、扇風機の風が爆風になる。
- 42:50愚かさを肯定するところまで連想が横滑りしていく楽しさを、道徳的なものでマスキングしていないか。
- 46:02ライトボックスは今ではiPhone時差があるとそう見えてしまう。
- 47:56目からビームが出てる系目をカメラと考えるか、スクリーンと考えるか。古代ギリシャからの二派。
- 53:20三人が日本・ヨーロッパ・アメリカそれぞれの一番好きな映画の話から、そうなった。
- 1:06:00書道の展示に行った黒嵜想について行って。書道が面白いとは思っていなかった。
- 1:08:04縦線だけ彫ってから横線を彫る甲骨文字。筆順という概念が発生する前の文字。
- 1:09:52他の字と区別できればいいその字がその字であるための最小条件。ソシュールより疎な関係。
- 1:14:10日本語を書くのはブルシットジョブローマ字入力して変換する。ローマ字表記とローマ字入力で綴りすら違う。
- 1:16:36暗号みたいな言語が文化を守っているひらがなだけにも、公用語をフランス語にもしなかった。
- 1:22:29草笑いも大麻も草。隠語で言ってやった感が同じ。
- 1:27:46非同期の音楽async。獅子舞の周りの演奏は呼吸だけで合わせている。
- 1:30:06何々ちゃんのパパとして地元の祭りで有名人ではない体で最高のパフォーマンスをする。
この回で出てきた言葉
- 暗号みたいな言語が文化を守っている**日本語を書くのは、それ自体がブルシットジョブのようにめんどくさい。
- エアリプは受信した側が成立させる本人にエアリプをしようというつもりが全くなくても、 エアを察知する人間が一人でもいれば、もうそれはエアリプなんだ—— 福尾がそう言い、荘子itが乗る。
- 愚かさを肯定するところまで行くべきではないか作品の外側に口実が逃げているの裏返しとして福尾が言うこと。
- 記号が現象に還元され直すアルフレド・ジャー『広島広島』の終わりについて。
- 記号の波が通り過ぎただけゲスト回で、荘子itが一瞬だけわけの分からない記号の羅列を早口で言った。
- 草**「w」に笑いという意味が託され、 そこから「草が生える」を経て「草」と言えば笑ったことになる。
- ゴテゴテしているが馴染んでいる家具の音楽と言っても、全てがIKEAのように馴染んでいるという話ではない。
- 作品の外側に口実が逃げている福尾が『広島広島』に感じた引っかかり。
- 時差があるとそう見えてしまうアルフレド・ジャーの初期作『This is America』は、 アメリカとは北米の一部ではなく、 アラスカから南米のチリまで含めた西半球全体のことだという、 70年代のUSA中心主義へのカウンターだった。
- そこになかったらないですねEverything In Its Right Place の反対語は 「そこになかったらないですね」—— 誰かがXで言っていたのが面白かった、と荘子itが紹介する。
- 電波系の二つの意味ゲスト回で「電波系」の話になったときのすれ違い。
- 非同期の音楽坂本龍一の『async』について、荘子itが最近になって響いてきたこと。
- 広島広島オペラシティの個展の最後にあった映像作品。
- 他の字と区別できればいい書家の展示で福尾が聞いて面白かったこと。
- 密だからこそ余地が生まれる前の週に荘子itが言って、福尾が拾えなかったこととして持ち出される。
- 密なのは被害者の側記号の波が通り過ぎただけから、荘子itが対を裏返す。
- 密な人が話しかけてきたら怖い密なやつがやってくる、という怖さ。
- 密な人だと思い込んでいた頭空っぽ性は疎密にもかなり近い対立だが、別の言い方をすると違う話になるかもしれない、という意図も込めている。
- 目からビームが出てる系**なぜ物が見えるのかについて、古代ギリシャの時から二つの派閥がある。
- 有名人じゃない体で最高のパフォーマンスをする荘子itが「やがての最終目標」として挙げること。
- 余白を指定する長谷川あかりのレシピの末尾に 「ブロッコリーや菜の花を入れても美味しいと思うので、 レシピの余白を楽しんでください」と書いてあった。
- レディオヘッドとエアヘッドエアヘッデッドネスとレディオヘッドの続きとして、 荘子itが二週間かけて考えてきたこと。
この回からの引用
レディオヘッドが外のエアを受信したものだとしたら、エアヘッドにしては自分の中のエアを大事にする的な話じゃん。
社会の荒波に流されないようにしようみたいなことを言うと、自分の側をぎっしりさせようみたいなことになりがちだけど、それはそれでダメなんだってことだよね。
その時、玉置が来たのが本当に電波から身を守ってる人って話で、そこでギャップがあってめっちゃ笑っちゃった。
文字通り性だよね、リテラリティの問題っていうか。
割と俺は密に情報過剰に詰め込んでいるタイプみたいなところを売りにしてるところもあるけど、でも福尾匠のその議論とかに惹かれて、面白いなと思って、自分もそういうところあるなみたいなところを最近発見している。
僕自身もやっぱ結構、密な人だと思い込んでた部分はあるからね。
密なのがやってくる。やっぱ密な人がね、話しかけてきたら怖いよね。
いや今のは目の前を記号の波が通り過ぎただけで、風圧は感じたかもしれないけど危害は加えてないよっていうエクスキューズをした。
悪と愚かさの問題っていうか、こっちは別に密であると自分でもあんま思ってないし、でもなんか喋ってるうちに相手の側にいつの間にかすごい圧だなみたいなことを感じさせてしまっていて、それについてはやってる側は全然気づかず通り過ぎちゃう。
元の暴力の被害者、戦争の被害者の側がずっと言い続けて、言うのが密なのはむしろ被害者の側なんだよね。そこで入れ替わりが起きる。
被害者が密で加害者が頭空っぽで、自分が知らないうちに人を傷つけてて。
普通に変な雑貨とかがある、ゴテゴテしたものがいっぱいあるけど、これが馴染んでるっていうものなんだよ。一個一個見たら結構ゴテゴテしてる場合もあるんだよ。
レシピの余白を楽しんでくださいって書いてあったの。
→ 余白を指定する
本人が実際エアリプしようみたいなつもりがなかったとしても、エアを察知する人間が一人でもいれば、もうそれはエアリプなんだよね。
お前がエアを感知して言わされてる以上、それはエアリプなんだっていう。お前自身も気づけてないエアリプなんだっていう。
Everything In Its Right Placeの反対語は、そこになかったらないですね。
引き受ける限界が普通にあるよみたいな、その棚が世界じゃないから、この店が全てのものを取り扱ってるわけじゃないから。
余白って言いながら指定してるっていう、ここで遊んでくださいよって。
→ 余白を指定する
密なものは密なもので情報がめっちゃあるから、逆に勝手に受け取る側が遊べるっていうか、侃々諤々いろいろ喋れる、密だからこそ余地が生まれるみたいなこともあり得る。
ホワイトアウトしちゃうとか、線が多すぎてホワイトノイズになってホワイトアウトしちゃうってなるとつまんないんだけど、この前カレーになる直前のビーフシチューを作ったみたいな感じ。
やっぱ嘘つかないと成り立たないっていうことをどう引き受けてんのかなっていうのが最後まで気になっちゃって。
最後の広島広島っていう映像作品があるんだけど、それはアルフレド・ジャーっていう作家が広島の原爆ドームの上をドローン飛ばして撮影していいという許可を得て撮った作品で。
→ 広島広島
作品の中で落とし所をつけてないっていうか、作品の外側に口実が逃げちゃってるっていう感じがあって、なんかやっぱどうしても気になっちゃうんだよな。
南米もアメリカであるってことの意味がさ、正反対に変わっちゃって、180度。それがめっちゃ皮肉っていうか面白かったね。
記号が現象に還元され直すっていうかさ。一回記号として捉えられたものが、記号の言葉遊び、楕円が真円になり扇風機になりっていうとこまでは遊びなんだけど、その先の扇風機で出力されるもので。
記号化すること、抽象化するって頭いいことっぽいけど、その抽象化する時点では結構頭いいことなんだけど、それをもてあそび始めるとそれ自体が結構頭空っぽ性を持ってる。
それ自体はその楽しさみたいなものを、なんか道徳的なものでマスキングしてないかみたいな思っちゃうんだよね。
でもその愚かさを肯定するっていうところまで行くべきなんじゃないのみたいな。
それは単純に作家の認識が足りてないとかそういう話じゃなくて、そう見えちゃうことが面白いというか、時差があるとそうなっちゃう。
目をカメラだと思う人は目からビームが出てる系の視覚理論で、目をスクリーンだと思う人は光が外から入ってくるっていう立場なんだけど。
目からビームが出てる系って加害性強そうで嫌だなみたいな危機感あるけど、やっぱ俺も結構そういうもの好きなんだなみたいなのがあるね。
その字がその字であるっていうことを決めるためのファクターは、他の字と区別できればいいっていう、そこが最小条件なんだよね。
でも文字が反転してもいいとか書き順がぐちゃぐちゃでいいっていうのは、もっと疎な関係っていうか、そこにいろんな隙間がいっぱいある状態だと思う。
漢字仮名交じり文っていう、めちゃめちゃそれ自体が暗号みたいな言語を、100年以上近代化した後も使ってるわけで。
すごい冗長性がめちゃめちゃある、謎の、それ自体が暗号ごっこみたいな言語をなんか公用語にすることによって、なんか守られてる何かがあるみたいな話だよね。
Wって書いて笑いっていう意味がそこに託されて、しかもそっから草生えるっていうWを草と読み替えて、草って言ったら笑ったことになるみたいな。そのミーム生成力はやっぱ日本語に内在してる何かだと思う。
→ 草
文章の最後に草ってついてるの、それが大麻のことであろうと藁のことであろうと、どっちみち表現してる何か冷笑まじりの、このひそやかな楽しみ感っていうのは同じなんだよな。
→ 草
音楽の中でそういう呼吸と空気で合わせているみたいなことをあんまり取り入れようとして、いわゆる作品とか曲の外部のパフォーマンスをそういうことできるけど、曲の中にそれが盛り込まれているものってあんまりない。
→ 非同期の音楽
非同期の音楽ってめちゃめちゃ、普通にしてたら今ない、音楽の中にないものなんだっていうのを最近より感じて響いてきてますね。
→ 非同期の音楽
地元のお祭りに有名人じゃない体で最高のパフォーマンスをして、そのまま有名人だとバレずに終わるっていう、それ理想なんだよね。
ライブハウスみたいな会場的な下駄も履かされずに、地元の商店街のステージでできる、それでいいのがいいものだよな。